上田市房山にある 「風林山 金昌寺」
はるか昔400年以上も前のこと、我が家の敷地は、「風麟山 琴松寺」でありました。
眞田幸村の父、眞田昌幸が築城の際に、当地より城下へ寺を移したひとつであります。
琴松寺の松を昌幸から1字とって昌に、琴を金に替えて、金昌寺として建立されたのだそうです。
その時に、当地に住んでいた皆さまは、こぞって城下に移り、空き家となった集落に、我が先祖が移り住んだのだそうです。
で、当地の地名大字は本入村、上田市内には、常田の隣に常入と踏入がありますが、その起源は未調査です。
海野町に対し東部町に本海野、原町に対し真田町に本原があり、新田には鎌原があり、群馬県嬬恋の鎌原村からの移住が窺えます。そんなんで、入村に本がついて江戸時代は本入村だったのではと、私は考えています。
小字は小寺尾、多分「古寺」がなまってコデロ(古老はそう呼びます)からコデラオとなり、小寺尾となったのでしょう。
それらの故事が、歴史から消えているのですが、もしかして、先祖さん達は、幸村と一緒に大阪城で戦って、お亡くなりになってしまわれた故かも知れません。
で、そんな故事を記念して、「眞田赤備え」の旗印である「六文銭の赤旗」をジャムのラベルにデザインしてみました。
どうか宜しくお願い致します。
当家は、集落の中心にあり、その寺の墓裏に位置しています。その寺は江戸時代までは存在していたようで、家の前にあった昔の集会所は、お堂を改造したもので、その南に集めてある墓には、江戸期の和尚の墓が数基存在していたり、江戸の年号の入った踊り念仏供養塔が建てられています。
今日金昌寺のご住職を訪ねてみましたが、お留守で奥方様にお話しをして、盆でも明けたら再びお訪ねしてみようと思っております。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home