無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

火曜日, 11月 01, 2016

TPPと消費税の矛盾を見て思う

自民と新進が国民を、TPPの罠に落とそうと必死の構え、図らずも正体が露見した。

彼らの言によると、我が国は輸出で息をしていく覚悟のようだ。
それは否定しないとして、

一方、消費税が我が国の主な税制にしようと努力も為されているようだ。

消費税とは、名と実質とは違い、国内の産業過程に課税する仕組みによって、税を蓄積しようという仕組みになっているが、

輸出に経済を託す場合、外国の消費には課税しないらしい。
事実、輸出に掛かった分は払い戻しているので、国内の生産時にかかった徴税のコストは全く無駄になるだけでなく、集めて輸出業者にお返しする仕組みなので、そいつが国民の負担になるので、国民総生産的には赤字になる税制である。

そのように考えると、国内消費対輸出の総生産が輸出側に振れるならば、消費税経済は,コスト割れを起こし、それに頼る福祉はめちゃめちゃになる。

このまま行けば、国内は疲弊してしまい、対策として物々交換や自給自足が増えるようになる。
その場合には、消費税は課税できない。

輸出に掛かる消費税はゼロ円だが、コスト割れを起こしてしまうので赤字になるので、現在でも冷え切った国内消費のみで賄う事も目減りして、人口が減っていく近未来を考えても、ますます税収と実質国内生産のファクターは減少に傾くことになる。

全く以って、矛盾に満ちた経済の仕組みが出来上がろうとしている。

このままいくと、我が国の経済は心もとなくなるので、新しい税収と経済方式を考え出さないと、破綻は回避できなくなる。


小生は、戦国時代の経済を考えている。あの時代にしぶとく生き残った者の、遣りようを学ぶことが良いだろう。

狩野派の美術、茶道や華道、武芸、きらびやかな京職人、そして、したたかな農民と商人であろう。

それらの生き様を学んで、明日の糧にすること考えている。


まず、己の人生を見直す必要がある。

働けなくなった老後を蓄えで賄おうというのは難しい。まして介護や年金にも頼れないらしい。
若いとて同じこと、他人に雇ってもらってお金を貰おうという生き方が難しくなっている。

病気になっても、これまでのようにお医者様に命を託して、安心していられる時代ではなくなるらしい。

ワタシは自由業をもう40年ほど生きてきたが、いっときたりとも誰かに生活の心配をいただくことなく、なんとか生きてこれた。
自由業とは、どんな生き方も出来、事実、沢山の稼ぎ方を目論んだ。本業以外はなかなかうまくいかなかったけど、諦めないことが肝心らしいので、まだまだやることは残されている。

自分の健康に気をつけ、病気にならないように、医者の世話にならないように、元気で居ることを心がけてきた。

病気になったら生きていけない、何か稼ぎを見つけて働き続けなければならなかったからだ。
でも、ソレが苦しいともひどいとも思わない。

父も母も農民なので、普通に働いて自分の食は自分で賄うことが当たり前と思っている。

母は92歳になろうとしているけど、無農薬の野菜生産の全てに責任を持って農作業をしていて、今でも自分の食い扶持以上の生産に寄与している。

畑から化学物質を取り除くことが、病気を防ぐ無農薬農業のキモだが、ヒトの健康にも同じことが言えると思う。

化学物質を食べないこと。酵素系の食料を食べること。組成の分からない甘味食品は口にしない。

これが医者に掛からなくて生きられる、キモだと思う。

怪我は別として、気をつけていればワタシは67歳だが、特に医者を必要とせずに生きている。
母も、懸案の親知らずを抜いたらモット元気になった。どうも悪い因子を植え付けられていたらしい。

そのようにして生きられれば、もしお迎えが来ても、抵抗せず受け入れる事ができる。

ワタシの隣の集落の皆さんは、殆どが野良でお亡くなりになられて、働いていてコト切れてる。理想的な往生だ。

ワタシも、そのように生きたいと思っています。

既に前期高齢者の仲間入りだが、普通に働いて、というより、むしろ新しい人生を歩み始めました。