無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

月曜日, 8月 15, 2011

終戦66年に思う

 本日、66回目の終戦記念日です。

 今年は、いつもに増して、「人の死を避けなければいけない」こと、平和、「ごく普通に、明日も生きられる幸せ」を、みんなで享受できる社会の建設を目指さなければいけない。

 ことを、みんなが、考える必要がある時だと、思いました。


 それには、自分ができることを探して、辛抱強く、それに挑戦することだと、思っています。

 昔、私は、それを他人に求める言動をしてきました。
その結果は、何も生まれることは無く、ただ敵を増やしただけのように考えています。
その反省をふまえ、これからの人生は、自分ができることを考え、ただ、それをするだけにしています。

 お盆に終戦になったのも、また、何かの巡り合わせと思っています。
私の人生のライバルは、友達でもなく同業者ででもないと思っています。
 真のライバルは、同じ遺伝子を生きてきた、父であり祖父、またそのご先祖様が、自分と全く同じDNAをもつ、ライバルであると考えています。

 その昔、私のライバル達は、何かの戦争によって、一生を気の休まる時が無く、生きざるを得なかった、しかし、妻をめとり子をもうけて、子孫を営々とつないできた結果に、今の私の存在がある。
 
 その人達、江戸期の300年は平和であったとしても、苦しい山里の農民であり、それらを鑑みると、私が一番恵まれた時代を生きています。

 息子のこれからを考えると、決して優しい時が待っている訳ではなく、結局、私の生きる時代が一番恵まれている事に気づきます。

丁度、数珠のように、ひとつ一つの珠が、小さいのもあれば、ごつごつしたのもあり、大きいのもあって、透明なのや輝いたのも、そういうご先祖の人生が累々と繋がっている事を、考えるのがお盆、私は、余生をせめて丸く透き通らせて、長生きしてそれを大きく膨らませようと、考えています。



 従って、せめて、自分にできることをして、世の中をもっと優しく、もっと安全にする事が、私の務めだと気が付いた次第です。


 私にできることは、『 脱石油と安全な食糧の生産に対し、それを継続して生きて行かれる仕組みを作り出すこと 』だと、かんがえています。

 脱石油については、化学肥料を使わない、化学農薬を使わないが、到達点です。
今年は、ジャム冷蔵庫の省電を進めて、ゼロに近い省エネルギーを目指します。

 安全な食糧作りは、ジャムとお米と自家野菜での無農薬が完了しました。
が、それだけでは、食糧の50%を越える種で無農薬生産できないと、お客さまの満足度の50%を越えられません。

 まず、私が生産する物の内、私自身が口にする食糧の50%以上を、無農薬にすることに取り組もうと、決心しました。

 そのことに真剣に取り組むことが、東北の震災や福島の皆さまに、どのようなお力添えになるかは、想いも及びませんが、今私にできることを精一杯する事が、平和に通ずると信じて、今日を生きる事と致します。

 ありがとうございました。