終戦66年に思う
本日、66回目の終戦記念日です。
今年は、いつもに増して、「人の死を避けなければいけない」こと、平和、「ごく普通に、明日も生きられる幸せ」を、みんなで享受できる社会の建設を目指さなければいけない。
ことを、みんなが、考える必要がある時だと、思いました。
それには、自分ができることを探して、辛抱強く、それに挑戦することだと、思っています。
昔、私は、それを他人に求める言動をしてきました。
その結果は、何も生まれることは無く、ただ敵を増やしただけのように考えています。
その反省をふまえ、これからの人生は、自分ができることを考え、ただ、それをするだけにしています。
お盆に終戦になったのも、また、何かの巡り合わせと思っています。
私の人生のライバルは、友達でもなく同業者ででもないと思っています。
真のライバルは、同じ遺伝子を生きてきた、父であり祖父、またそのご先祖様が、自分と全く同じDNAをもつ、ライバルであると考えています。
その昔、私のライバル達は、何かの戦争によって、一生を気の休まる時が無く、生きざるを得なかった、しかし、妻をめとり子をもうけて、子孫を営々とつないできた結果に、今の私の存在がある。
その人達、江戸期の300年は平和であったとしても、苦しい山里の農民であり、それらを鑑みると、私が一番恵まれた時代を生きています。
息子のこれからを考えると、決して優しい時が待っている訳ではなく、結局、私の生きる時代が一番恵まれている事に気づきます。
丁度、数珠のように、ひとつ一つの珠が、小さいのもあれば、ごつごつしたのもあり、大きいのもあって、透明なのや輝いたのも、そういうご先祖の人生が累々と繋がっている事を、考えるのがお盆、私は、余生をせめて丸く透き通らせて、長生きしてそれを大きく膨らませようと、考えています。
従って、せめて、自分にできることをして、世の中をもっと優しく、もっと安全にする事が、私の務めだと気が付いた次第です。
私にできることは、『 脱石油と安全な食糧の生産に対し、それを継続して生きて行かれる仕組みを作り出すこと 』だと、かんがえています。
脱石油については、化学肥料を使わない、化学農薬を使わないが、到達点です。
今年は、ジャム冷蔵庫の省電を進めて、ゼロに近い省エネルギーを目指します。
安全な食糧作りは、ジャムとお米と自家野菜での無農薬が完了しました。
が、それだけでは、食糧の50%を越える種で無農薬生産できないと、お客さまの満足度の50%を越えられません。
まず、私が生産する物の内、私自身が口にする食糧の50%以上を、無農薬にすることに取り組もうと、決心しました。
そのことに真剣に取り組むことが、東北の震災や福島の皆さまに、どのようなお力添えになるかは、想いも及びませんが、今私にできることを精一杯する事が、平和に通ずると信じて、今日を生きる事と致します。
ありがとうございました。
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