エマニエル・トッド氏の教え(その2)
もう一度整理します。
社会主義政権、すなわち共産主義政権が成り立つ土壌として、家族主義の民族の場合に成功しているのだそうです。
直系家族制度に依って、おじいさんの財産は父に父から子と共有され、見返りに老人をいたわる生き方が選択される。
職業選択の自由を犠牲にして、経済の自由を手にする民族は、老後の社会保障が必要なことが判るので、共産主義政権に移行しても理解を示せ混乱に陥らない。
一方、核家族で生きて職業選択が自由な民族は、子どもは親から独立して旅立ち、職業も活き方も自由に選べることが、人生において重要な因子なのだ。
そうした人々にこそ失敗した時の救済システムとして、社会保障が必要なのだが、自己責任の民族故に、社会主義や共産主義を好まないので、自由主義社会制度を構築する。
ソビエトがうまく行かなかった理由に、核家族の子どもが旅立つ民族であり、ロシアに戻ることは必然だった。
さて、我が国の場合、戦後のはじめの時期は、直系家族制度下にあったので、共産主義を理解できる人々が大多数で、現在70歳以上の方々がそれに当るのだが、そうした人々が政権を回していた時期には、共産主義国家ではないのに、政策は官僚主導の公共事業に拠る景気策だの、社会保障を手厚くする施策だのが採られた。
結果、社会保障が安心の引き金になって、それまでの直系家族から子どもたちは旅立ち、都会に出て職業選択の自由を得た。
いわゆる団塊の世代だ。彼らは核家族制度を選び、職業をはじめ何もかも自由を謳歌した。
子どもは当然のように親とは暮らさず、独立して新しい文化を持ったのだが、そうした核家族制度にこそ社会保障が必要であり、一部の夢破れて失意にある者を救済する術は、共産主義国家になぞらえる社会保障でしかない。
しかるに、民意の大半は、それを容認できない民族に移行してしまった。
而も、資本主義政権が強大になって、アメリカのように小さい政治を求めるならイザ知らず、いまだ直系家族制度によって恩恵を受けている、二世三世の世襲議員によって政が行われているので、知らず知らずのうちに共産主義の政策が次々と繰り出されているので、混乱してまさに資本主義の終焉の様相を呈している。
およそ、資本主義経済の終焉期において、「計画された経済というものは、言葉を変えると、それを社会主義と呼ぶ。」と曰われたシュンペーターの言そのものの新自由主義なのに政策は共産主義という混乱した社会を私たちは持ってしまった。
既に日本は核家族制度の民族集団になっているので、自由主義経済の仕組みでしか動かせない社会構造になってしまっている。
社会保障を容認できない人々によって構成されていて、まさに社会保障が必要な時に至っているのに、国民は無意識のうちにそれを否定するし、国家も社会保障が出来る経済力を失ってしまった。
救いの福音は三つあるようです。
一つは、シュンペーター師が教えているイノベーションだ。
全く新しい手段によって材料を手配して、全く新しい方法により、これまでと全く違った商品を作り出す。
「その商品を手にした者は新しいき方を始めることの出来る商品である必要がある」
その商品を、これまでと違ったルートによって、全く新しい顧客に届ける、施策を発見し始めること。
二つ目は、フランソワ・ペルー師の生き方。
奉仕と参加型の社会構造による、新しい社会の仕組みを構築する。
いわば、江戸時代あるいは戦前の田舎における生活パターンのような気がします。
三つ目は、エマニエル・トッド師とトマ・ピケティ師による予言。
祖父母を敬い、父母を慕って、子や孫との共同生活により、土や家や仕事の財産を共有して、家内工業形態の家族相互扶助による自衛手段を講じて、職業を固定して無駄を省き経済の自由を手にする。
国家を当てにしても見返りはもう期待できません。その範疇に有る者すなわち公務員以外には、先人の教えを守って生きるより他に、手段は見当たらないように思います。
でも安心です。選択肢は三つもあるのです。
行動を起こした者にだけ、神様は微笑むのです。
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