無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

月曜日, 5月 01, 2017

歴史の裏側を貫いている事象を掴む(1)

 歴史は面々とつながっているので、事象だけをつまみ出して判断するのではなく、「とある事象に拠ってそうなった」と考え、事象を挿入していくことで、より真実に近づけることができると思います。
 また、古代人が記録した書に対し、現代でも合致させることができるのは地形である。 
 現在の地形や方角と記録が合致していれば、その記録は真実に近く、それを支援する事象を探し出して当てはめることにより、真実を探し当てることができると思います。

 ほぼ同時期につくられてた古事記に「科野之国州羽海」記載があって、日本書記にない事柄を考えます。
古事記の特異性は、それまでの氏名が「建御名方命」のように、あだ名で書いていたところに唐突に「州羽と名乗れ」と諏訪氏の名が出てきて、それが日本書紀からは消えていることです。

 事件の発端は天武天皇(大海人皇子と同一人物なので以後天武天皇と書きます)が、663年の白村江の戦いにおいて、日本軍の敗戦を見ていたこと。
海戦が有名だが、生き残っているので陸側に居たと思います。そこで彼が見たものは、三国志などで出て来る連環馬などの馬に拠る圧倒的な強さだったはずです。
 帰国して騎馬隊の育成に努めたことは、やがて673年に即位して騎馬隊の育成学校の制度を整えたことから伺えますが、歴史の中でそのことが触れられていないのです。
 どこで馬を増やして、同時にどのようにして騎兵を養育し騎兵隊を得たのかが不明です。
 ワタシだけが知らないのかもしれませんがその後、望月の駒、伊那の駒、木曽の駒などが有名になり、鎌倉時代に前後して日本屈指の流鏑馬の名手が信濃人として名を馳せています。

 それらをどのように紐解いて組み上げていくかに拠って、より真実が見えてくると思います。

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