縄文文化はイノベーション文化
縄文文化のひとつが、母系家族
母が全ての源であり、誕生の神様であることに、一点のブレもない。
母なくして、何人も誕生すること叶わず、倫理なき時代に有ってもこの事実に、異を唱える者はおらず、当然この思想が一番先に来る。
現代においても、この原則に変更はない。ただ忘れているだけだ。
父など、只の細胞分裂の刺激の針先に過ぎず、もし、人工に拠って卵子の分裂の刺激が可能なら、もはや男の役割は、働くこと以外になくなってしまうほど、風前の灯なのだ。
だが、頑張ろう。私たちが彼女たちに奉仕することができたり、彼女たちのお気に召す存在に慣れれば、まだ、十分生きる道は有って、ワタシを求める姫様たちは、たくさんおられるのかもしれないのだ。
さて、縄文時代には、子育ての役割を終えた、元夫たちに次なる使命が有った。
子どもたちは、10歳かどうかは不明だが、幼児期を超えると、中央の集団生活ゾーンに移り、手仕事の見習い方からはじめて、集団にて生きることを学ぶ。
10代になれば立派な働き手となって、社会の発展に寄与できる。
娘は13にもなれば男を選んで結婚し、力のある男の子は竪穴式住居を新築して備え、そうでない者にも後夫としての生き方が与えられ、ひととときの家庭の幸せが得られたことだろう。
働き手としては、20代になるともう名人のレベルに達していただろう。何しろ30歳までの人生だ。
イノベーション innovation
in 婿に入る
nova 新しく
ation プロポーズして結婚して子育てする
こういう意味なのです。
これを資本主義社会の条件下に当てはめたのが、シュンペーターが謂ったところのイノベーションだと、筆者は考えています。
物作りする組織は母。 異分子が婿。
結婚の極意は、「全身で妻の人生に入る」のであって、入れるのではありません。
組織もまた、受け入れるのであって、取り込むのではありません。
組織が変わり受け入れて、異分子は己も変わって、それぞれが融合するべく、奥から変化した組織に、innovationが起きるのです。
自分自身が変わらず、innovationすることは不可能で、それは単にひとつの発明に過ぎず、技術革新には当たらないでしょう。
縄文文化は戦いのない場所での処方箋です。
明日の日本に備えるには、あと3分の2の文化を取り入れる必要があるとおもいます。
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