縄文文化醸成の生き方
縄文時代のルーツは、ホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタール人であるらしい。
彼らはサピエンスに追われて東に逃れ、幸運にも海をわたることが出来た。
2万年以上の間、交わることなく、互いに戦わない社会を作り上げることが出来たのです。
ただ、食生活は火を使った煮炊きに拠っったため、寿命が短く30歳を越えて生きることが難しかったらしい。
そのことが、特殊な文化を生み出したのです。
山内丸山遺跡の特徴は、中央に大きな集団の住居があり、周りを竪穴式住居が囲んでいます。
これは、母系家族であること。竪穴式住居の主は女性であり。夫を得た母が子育てを為し、狩猟の民である男子の死亡の確率は高く、夫婦であっても寡婦になる確率が大きい。
その場合、新しき男は中央の集団からもたらせられ、子育てのつがいが再生される。
母を病や寿命で失った家庭即ち、夫は住む家を失い中央の集団に移住する。
空いた家には、新しき夫婦が入りそこで子作りが行われる。
幼児期を過ぎた子は、中央の集団に移り、そこは長老支配の集団生活の場で、秩序を持って技術の承継や狩りの実施と訓練が行われる。
寿命30歳では、一子相伝は不可能なので、共同生活に寄って、長老から若者子供に教育と技術発展が可能になる。
また、この方法以外には、矢じりの加工や石器の加工、素晴らしきデザインの土器の作成は不可能になる。
山内丸山遺跡などが、海岸線より離れて標高30m以上の土地に形成されているのは、2万年掛ければ、20回以上の貞観や東北地震クラスの津波に生き残れた理由も解る。
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