軍事オタクの元祖は中国
NHKで真田丸を放映しているおかげで、信州や群馬ではまち起こしが盛んだ。
一体、そこから何を学ぼうと謂うのだろうか?
真田親子鷹の上田合戦での白眉は、神川の水攻めである。
予め上流にダムを設け水をせき止め、敵軍を渡川させる。
しかる後に川岸で引いたり攻めたりして、陽動作戦により深追いさせ、虚を突いて急襲し、退却を余儀なくさせ、待ち伏せ部隊の大なる存在を知らせしむる。
退却途上の敗軍が渡川せし時を狙って、上流で堰を切り攻め立て、秀忠の軍勢が関が原に遅れた軍場である。
これが世に有名な、真田昌幸の神川合戦ですが、原典は国士無双で有名な韓信の策で楚の龍且軍を壊滅させた濰水の戦いだ。
真田軍は主に調略を以って戦わずに勝利を収めている。
孫子でも、三十六計逃げるが勝ち。すなわち「絶対、戦かうな」と言ってるのだ。
戦えば、必ず味方に被害が出る。得にならないのは当然、だから調略すなわち、騙し合いが大きな武器になる。
調略が叶わなかった時、全軍を以って戦場に赴き、数やホラで威嚇する。それでもダメなら逃げろ。がキモだ、一理ある。
そういう意味では、北朝鮮のオドシの水爆も衛星打ち上げロケットも、中国軍の南沙の要塞も理にかなってる。
威嚇だけで済めば、孫子の兵法の学士だ。
沖縄の米軍も、アベシの軍備も平和のためかもしれない。
トランプも似ている。全て、古代中国に源を発する戦争が全ての時代の考え方である。
先の敗戦を体験して、永久平和によって名誉を得ようと謂う憲法を持った私達が、果たして学ぶべきは紀元前の戦い方なのだろうか。
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