無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

火曜日, 7月 19, 2016

グローバル経済が破綻に向かっている

英国のEU離脱、アメリカのサンダース氏やトランプ氏の支持、参議院選挙の真の支持率。
そして、中東の反乱。

この持つ意味は、グローバル経済によって経済界が大きく発展することと大多数の庶民の生活が天秤にかけられていて、経済が発展すればするほど民の生活が苦しくなることが、少なくない庶民にまで判ってしまいかけている。

世界の100名に満たない大金持ちが富の半分上を独占していて、更にそれを加速させようとしているのが、EUであり、アメリカの政府であり、日本の政府であり、TPPを目論む勢力であること。が大多数の側にも解りかけている。

ことごとく政治家は、その百名に満たない大金持ちの手下にすぎず、嘘を並べて自国民を騙している存在なので、もはや現体制を維持することが大多数の貧乏人にとってなんの意味ももたないこと。が少なくない人々の共通の理解になってきている。

日本では選挙などで政権を変えてみても、世界の100人に満たないお金持ちがより豊かになる仕組みが、小出しされるか促進するかだけの違いで、やはり100人に満たないお金持ちとその手下以外の貧乏人にとっては、何の恩恵もないことが段々と明らかになりつつある。

EUにみんなで寄っても数十名しか栄えないのであれば、離脱して、厳しいながらもそれぞれが生きられる道を探したほうが良いではないか。流石、英国の矜持。



ここは日本、私たち庶民派はどうしたら良いのだろうか?

サラリーマンとして、グローバル経済の片棒を担ぐ手下達に隷属する立場を選び、己もその100名弱の仲間入りを目指す。

はたまた自給自足の農業により生活の足場を固め、経済的にも精神的にも独立するべく準備に入る。

医療費負担の桎梏からの脱却を目指して、医者にかからなくても済む健康なからだを得るために生命の仕組みを学び、自然の恩恵の上に動植物の生命活動があることを知り、酵素の活性化を阻害する化学物質を口から入れない工夫をして、酵素がとりなす自然児になって、まずはじめに健やかなからだと精神を得る。

医者に掛かれなくて死んだとしても、掛かって死ぬのとどれほどの違いがあるのだろうか。
癌と見立てて貰ってベッドで死ぬ。癌だと知らずに畑で死ぬ。お金が沢山あればベットでの長さも買えるのかと思ったら、ジョブズさんが買えないこと教えてくれました。


なにものからも自由になると見えてくるものがあり、囁く自然に耳を傾けることができると、自然の中で生きることの意味が判ってくる。ワタシはこれを天命と感じています。

天命とは、己の生きてきた軌跡によって導かれる、自然界において己が理解できたこと、やりたいと欲したこと、するべきこと。などが時というか不思議な力によって導かれて、できるようになって動き出せる。

ワタシの場合、天命は気まぐれでひとつではなく、事業であったり地域のなりたちであったりしている。

事業はさておき、地域の成り立ちに触れてみたい。

シナノの場合、ワタシのふる里は餘部(あまりべ)にある。そこは古代では鏃(やじり)で有名な黒曜石の産地であり、2万年くらい、武器経済の中心地であった。呼称は不明であるが日本中のヤジリの発掘によってその存在は明らかである。上田市武石に「余里」なる所があり、其所は和田と武石ともに霧ヶ峰美ヶ原の麓の重要な位置にあり、餘部の名残として申し分ない。


その後、ヤマトタケルやスサノウと呼ばれる戦人(いくさびと)が下って馬の里を開いた。それが古事記で洲羽の海として出てくる平安時代の須波氏と餘部の関係になって科野国を作ったのです。

上田市諏訪形、小牧、御所、原なる地名は、須波氏の駒の証、洲羽の海から水を引いて上の条中之条下之条なる条理田により科野の礎をつくり、科野大宮、科野国分寺から科野国府も紐解けます。

餘部氏はヤジリの里を支配していた高地の戦の商人の末裔。
2000mの高地での騎馬の鍛錬は偶然だったが 他を凌駕する産業に育っていき、佐久に開いて望月の駒に連なり、科野が駒の里としての地位を確立していく。

「みすずかる科野」のみすずとは、ヤジリが付く矢の竹、箕の竹(細竹をすずとも呼びます)を刈る、みすず刈る。いにしえの武具は細竹製でもあった事が考えられ、武具の産業も育っていたはず。

時は移り、義仲が丸子より兵を挙げた。科野の騎手を引き連れてのこと。
駒だけでは戦はできず、騎兵、手綱持ち、馬養人、弓矢と槍使い、武具のつくり手を金刺氏、手綱びとを(手使い)手塚氏、米つくりの長をオサダ他田氏それぞれ、科野を代表する舎人として記録にある。

義仲は敗れるも巴と手塚別当が戻り、義仲の遺志・兄今井兼平の遺志・おじ手塚太郎光盛の遺志を次ぐ子を産み、生家の須波改め諏訪氏を生んで、中世の信濃に広がっていったとワタシは想像しています。

そして、高原における牧馬は菅平や嬬恋の里でも盛んになり、高所で鍛えた信濃の駒と人馬一体に訓練された騎兵が戦場では重宝されて、ここでも真田氏が台頭する要因となっているのでなかろうか。

2000m高原で育成すれば、これから馬も良いかもしれない。


乱世であっても、時が必要とする産物を新しく供給しすれば、生き方が定まるらしい。

100名も居ない天下人にならずとも、時が欲する新しき産物を見据えることにより、しばらくは食い繋いで行くことができるやもしれず。これすなわち天命なのか。