無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

日曜日, 9月 18, 2016

古代天皇家が確実にやっていた事

古代天皇家が出現したる確実なる理由。

 縄文遺跡を考察、寿命が30歳と言われる縄文人の時代が2万年も続いた要因は、共同生活に有ったと考えています。

 父の生命が30歳で途切れると、家庭においては技術の伝承ができず、共同生活によって年長者が他の世帯の若者にワザを伝授することで可能となります。

 今でも、権力の発生は、ブッシュ家や北朝鮮を見ると顕著だが、家族の独占によってスタートする。
 寿命の短さが、家伝という権力の独占を許さない仕組みをもたらし、争わない政権が可能になッた結果、平和が2000年も続いたと思われます。


 そこに、古代中国の長江流域を経て漁撈稲作農民がやってきて、海岸沿いに居を構え、平野の入り口の岩の谷から用水を引き、条理の水田を創ったのが、古代資本主義の弥生人です。

 やってきたのは古代中国を追われた王と近衛兵。
海岸に兵を駐屯させたので「浜」、海での漁撈により食料を確保し、安定した岩の谷口より扇状地の山側の広がりに、用水路を開削して縦に水を流せば、その平原には条理の田んぼができる。これ全て屯田兵の仕事でなければできない。

 統率が取れた王と近衛兵の仕事になる。

 出来た条理の田んぼに火をかけると畑、大木や葦のたぐいは燃えてその後には、豊かな田んぼの形が残る。そこに通年で水を張れば、深水なら大粒のイネのみが自然に淘汰されて、豊かな稔りが期待できる。

 津も律も傭兵も縦横の条理の田んぼが由来だ。瑞穂の国のみず穂とは、収穫の秋に田んぼにまだ水がある証拠。
 田下駄を履いて稔った先から穂を摘んでいけば、雪がふる頃まで収穫ができて今と同じくらいの収量が期待できそう。

 コメの種を持ってきて、兵に食事を用意して、集団を指図して条理の田んぼを創る。
こんなことをできる者は王をおいてほかには居ない。

 そして、開墾なった暁には、兵卒には今度は農民として、その田を貸し与え、縄文の女子が妻となって、家庭を作らせたらしい。

 研究では、弥生式土器は縄文と同じ手で作られた特徴があるという。
弥生縄文土器を場所によって調べれば、異なり方の特徴が場所に起因するとすれば、そうなる。

 つまり、縄文人は渡来人とうまく交わり、弥生時代を構築したと思われる。
事実、弥生時代には争いというより、飛躍的発展の記録になり、寿命も人口も著しく伸びた様子が見られます。


 屯田兵の将軍は村主となって、その庄屋の名前は「権兵衛」、近衛兵の権力者。年貢を与えてくれた方に払うのは当たり前、その年貢は「租庸調」国税だ。

 租庸調とは、
イネをまな板に揃えて載せるのがその字の通り「租」、年貢である。

子供ができれば、軍隊に取り立てて、少し上流に谷口が岩場で安定して疎水が取れる、盆地を見つけて、子供らに新しく開墾をさせるのが「庸」であり、その当時は戦うというより、新しい食い扶持を造り出すことに視点とエネルギーが向かっていたことでしょう。

 傭兵の傭は、縦横に石垣や土手を積んで、条理の田んぼを創るの意味に見えませんか。
最初の「調」とは、その子らに与える食料や道具を、親が整えて出すこと。

 原始共産主義ではないです。社会力を以って資本を創り出す。これこそまさに資本主義社会の先駆け。

 その首謀者が、天皇家のはしりであることは、その後の歴史が物語っています。

 コメは食料であり、報酬であり、貨幣でした。
それを創りだす農民は、元近衛兵。 大蔵技官であり農林技官であり、防衛官僚を自認して、「権兵衛」と名乗っていたはずです。

 戦国時代になっても、暴力から身を守ってもらうから年貢を払うのではなく、地頭や管領のように、天皇家から官位をを貰わない者に、権兵衛はみんなの年貢を差し出す根拠がなかったことでしょう。

 つい先年の「大政奉還」なる考え方も、全く天皇家発足当時の考えでなければ、「奉還」なる表現にならないのです。

 途中で、どなたが婚姻などで入れ替わろうと、天皇家は天皇家として一貫して、条理の田んぼを産んだヒト達として、原始資本主義の主役だったのです。

 つまり、成り上がるにはそれなりに、国民をして「飛躍的に豊かに」したことが、評価されて伝承されていったのでしょう。


 明治新政府が犯した大きな間違いは、

 いまFBなどで誰が騙したか語られている「幕府が借りた列強の借金」を『新政府が返さない限り認めない』と軍艦によって迫られ、農地を国民にくれたことにしてお金で収めさせる「地租改正」によって、現金で年貢を徴収したことです。

 借りていたはずの農地に、持ち去ることも出来もしない「所有権」なる言葉を発明して、騙し、国民を近衛兵なる国家小作人から、「土地持ちの国民」に陥れて、農民はどうにかしてお金に変えて国家に税金を払わなければならない存在にしてしまったことです。

 同時に、唯一の地主である天皇家を、陸海軍の将軍によって祀り上げられた存在にして、庶民を護る政治家の立場から奪い、だれもそのことを気に留めなくなった時に、日本人の庶民は「租庸調の対価として」自分たちを守ってくれる国家を失ってしまったのです。


 今日、天皇家に代わる「庶民から成り上がった為政者と呼ばれる人達」を政治家と呼びますが、庶民をして豊かにしなければ、実はその役目は泡沫なのですが、一体、そんなことを考えられる政治家が存在しているのでしょうか。