戦国時代も生きていた
政府とマスコミが余他漕いてて、我々の生活が侵されようとしています。
戦国時代を生きる北の小国の残酷物語を、居ながらにして会得できることが、そんなに重要なのでしょうか。
ひょっとしてマスコミのみなさまも、私達を戦国時代に誘うべく先見の明を発揮しているのでしょうか。
そうだとすると当分の間、我が暮らしに光が射すこと望めないので、戦国時代を生き抜いた祖先を見習って、そういう生活に改めるべし、と考えています。
信長が生き信玄や幸村が活躍した時代にも、日本国は在って国民は田畑を守り子孫を残して、津々浦々や文化を伝えてきました。
未来がそういう時代になろうとしていても、伝統文化を守る職人、田畑を守る農民、海・山を守る山人や漁師の生活は絶えることなく、そこに生きるより他ないというよりも、ワザを磨き自然と対峙することで、生きる道を探して行くことができたのでしょう。
やがて、消費税が上がり庶民の負担が増え、一部の富める人々に偏った政は更に磨きが掛かり、貨幣の蓄えなんて有っても只の紙切れになる日がやってきそうです。
一説には、貨幣経済を離れることがその道だと謂われます。
確かに自給自足と日銭稼ぎによる生活は、長期の経済振幅は自給自足によれば、課税制度が貨幣経済主流の所得税や消費税なら負担が少なくて済み、インフレやデフレも日当決済なら少ないながら、それなりに費用弁済は利きそう。
後は、からだが資本という、身体をどう健康に維持するか?が、問題となりそう。
病気に対する補償は健康保険だが、病気にならないような生きかたを選ぶことはできる。
健康を維持すれば、医療費の負担割合が多くなっても、ダメージは無い。
怪我をしないように病気にならないように、勉強してそれに向かった生活習慣を改めて、健康を維持する。
老後の不安に対しては、介護の実態を学び、介護が必要に至る生き方を知り、それが必要ない生き方を始めること。
運動と草食と少食により健康で長生きして、最後まで自分で考え自分の足で立って、ぽっくり逝けるよう前向きに生きるべし、天寿を全うできれば幸運。長生きしようとして予定より早く逝ったら、それもまた幸運。
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