無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

土曜日, 2月 25, 2017

農業のジレンマ

有機農家・自然栽培・慣行栽培いろんな形態の農家があります。それぞれ、法を守っている立派な農家で、悪い人は居ません。
でも農業だけでは生活していくことが困難な現実があります。
その原因のひとつに、作った農産物に自分で価格をつけて売れない。と言う仕組みがあります。この仕組は江戸時代の仕組みで、みんなが清貧を旨としていた時代の名残で、農家だけが取り残されてしまったのです。
市場で競る時になって初めて価格が決まり、その決めるヒトも農家ではなく消費者でもなく、中間に位置する商人なので、売れるかどうかだけの判断に拠って決まってしまいます。
現代の農業には、冒頭に記したようにいろんな形態の農家があり、それぞれの思いに従って、コストも千差万別なのですが、市場価格がバロメータになって若干の変化が期待できるだけです。

この仕組のしっぺ返しは、実は消費者にすべて帰っていきます。
農家は、市場価格で生活できるように、生産量を求めて化学物質による農業を試みます。その結果、市場に耐え得る農産物の品質は、やがて病を引き起こす物質を含んだ姿形の美しいモノに統一されて、健康に留意した農産物を消費者が選ぼうとしても、それは市場には現れない商品になってしまいます。
そうした商品は無いのではなく、一部の自覚した人達だけのお薬としての食べ物になって、一般には人知れずにひっそりと流通するか、農家は自分自身の食べ物として自家消費しているのが現状です。

産業形態の変化を謳歌した市民は、農家を置いてきぼりにした結果として、半分のヒトがガンで死ぬという現実を受け入れるより他ないようになってしまいました。
優れた政治家を得るためには、国民もまた優れた資質を要求されるように、安全の食品を得るためにも、消費者はもっともっと勉強して、何がよくて何が悪いのかを知る必要がありそうです。