無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

金曜日, 5月 05, 2017

千葉三郎武石胤盛


 「手塚光盛の兄、岡谷の諏訪盛澄は義仲と一緒に戦ったが、流鏑馬の名手として、鎌倉幕府の御家人として許される。」記述があるが、多分(仮説)騎馬兵の供給(馬と騎手はセット)基地が、美ヶ原を本拠地とする守矢氏と須波氏だった。
 幕府としても、騎馬兵の供給は一朝一夕にならず、痛し痒しのところがあり、やむなく許したのでしょう。
 そこで、西側の武器庫である武石に、千葉家の三郎胤盛を地頭として送り込み、楔を打ったのでしょう。
 一代限りの赴任になったことと、全国に諏訪神社が祀られていることから、推測するに、
 騎馬兵の供給が鎌倉幕府と合意ができ、全国に向けて科野の騎馬隊が売られていったのでしょう。
 流鏑馬などの技術を磨いて、各地に赴いた軍人は、任地にて指南役や名将になり、また、その地において若者を諏訪(塩田の須波の郷)に送って鍛錬していたことでしょう。
 諏訪神社を媒として、武将の育成ができた藩には、戦の神として諏訪社が祀られているのだと思います。