無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

日曜日, 1月 07, 2018

日本を担う(2)農業編

農家には二通りの生き方があります。
ビジネスで活きる方法と、生命を担うためにする農業です。
後者は儲からないので、仕組み創りが必要になるので、そうした過程を経ずして農業を始めると、いきおいビジネスの方に向かわざるを得なくなります。
「本当はまっとうな農家でいたいのだが、生きるために仕方なく農薬まみれの農業をしているのだ」。
という風に言い訳をして、化学肥料・農薬まみれの農業に移行していくのです。
誰も最初はそんなつもりなく、高い志を持って社会に出ていくのだが、いつの間にかそんな言い訳の社会に生きてしまうのだろう。
だから、
志を持って農業を始めるのは、50歳を超えた辺りにするべきでです。

生命を担うためにする農業は、とにかく儲かりません。
まずやり方を習得するまでに10年単位のスパンを要し、食えるようになるまで20年は見ておいたほうがいいでしょう。
場合によっては、一生儲けとは無縁のところに生きるようになります。
自分の生命が担保されているので、それでいいのですが、超越する為には哲学が必要になります。
私の場合、55歳の時に思いついて、無農薬農業をはじめて12年になります。
まだ、とても食えるところまではいかず赤字になっている有様ですが、一方で土地家屋調査士の仕事を頂いて、支援していただけるお客様があればこそ、そっちで稼いでこっちに機械を投資していることで、徐々に農業で食える環境が整いつつあります。
そのように考えると、
農業に従事するためには、まず社会においてなにがしかのスキルを得て、それをベースに始めるようにすることが、最適解ではないかと思います。
社会人スタート時において、そうした農業に従事するには、友人ですとか同級生や先輩など、同時あるいは先に社会に出た者たちに、生命の糧の給付の約束を取り付けて、見返りとしての生産に掛かる生活費を保証させる等の、反対給付つきの支援体制を作ってから、取り掛かるべきです。
「生命の担い手としての就農」を、仲間のための代表役員としての農家として、スタートするべきでしょう。
あるいは、ITなどの在宅技術を身に着けて、運動の代わりに農作業する、自給自足のいのちの農業だとか、若くしてなにがしかの不労所得を得られる身分作りをして、夢の農業に取り掛かる等の選択肢でしょう。
最後に一番楽な最適解は、十分な年金生活ができる環境を得て田舎に戻り、悠々自適の
自給自足のための長寿を担う、あるいは老いてますます盛んの自分になるための、いのちの農業を目指すことでしょう。
この環境にある者は、今の都会での余生の倍以上長がい活き生きの人生を送れるチャンスに恵まれているのです。
「帰りなん、いざ故郷へ」古代中国のこの詩を送ります。
陶淵明「歸去來兮辭」
http://tao.hix05.com/102kaerinan.html