経済のコントロールが出来るか? 私はできると思っています。
知らず知らずのうちに、意識をコントロールされている。それが結果として経済の効果として現されるのだと思います。
私達は働いて稼いでお金を手にして、どうやって悦びを手に入れようとしているか?ひとつの楽しみ方に、映画を見たり、旅行をしたり、美味しいものを食べたり、欲しい物を買ったりしたとき、それが喜びにつながっています。
すなわち、お金を遣うところに、悦びがあるのです。
一方、“税金を払う”という行為についても、「税の支払いに依って、私の労働が直接国民全体の生活を豊かにする」ことに通じ、ひとりの国民として、豊かな国家の成長に貢献した“大きな悦び”に包まれて、日本国民として矜持を感じるひととき。であるはずで、ここにもお金を出費する喜びがあるはずです。
ところが、日本人はそのように税金を支払うように教育を受けてきませんでした。むしろ、苦痛を感じるような人が大多数だと思います。
その結果、楽しい消費をする度に税の言葉に触れ、その悦びを奪われるのです。
また、八%という計算が厄介な数字を外税に表示させる仕組みにしたことも相まって、精神的に消費を抑制する働きをします。
もう一点は、それが税であれなんであれ、出費の枠はひとつなので、庶民が購買する額の総額は、縮小することになります。
使おうとするお金の枠が縮小し、実際に使われる時も抑制される消費は、さらに縮小の方向に向かい、社会全体を緊縮経済に移行されます。
ヨーロッパのように、歴史のある地域ですと、古い家に住んで歴史の佇まいの中で生きる為に消費を抑えて持続可能な社会をつくる場合には、インフラなどの社会資本が整っていますので、切り詰めた生き方でも慣れることができるので、その地で消費税を以って福祉に使う等の、支払いに責任と合意がある場合には、優れた税なのかもしれません。
ところが、日本やアメリカのように、若い国家でインフラをこれから整えたり、舗装のやり直しやら高速道路の再生を必要とする国家では、消費を抑えるのではなく消費を増やして、企業などの景気を高めて、税収を上げる仕組みのほうが効果が得られやすいと考えます。
また、日本の成長をみると、マイナス成長は消費税とともにおあり、かろうじて上向いた時は、もうじき消費税率が上がる”脱税駆け込み需要”の時だけであり、本質的に日本人の肌に合っていない仕組みであることが明らかである。
また、少し前が5%の税率、時期はずれたがやがて10%になる。変化率が5%が可能だとしたら、5%の変動は国家の経済的になんとかなる数字ということになろう。
だとしたら、5%からの変化には二通りある。10%にすることと0%にすることだ。
本当は、東北地震の時に「この復興のために20%の課税を。」というべきだった。ソレを受け入れる用意がある国民だったのに、大蔵省はわずか5%のアップを切り出してきた。
つまり、本気でするまでもない税の仕組みであることを、言外に語っているに他ならない。
さてさてどうすればよいか?を期待している向きもあるようなので、結論を述べたい。
税制を変える必要がある。
まずは、消費税を廃止する。
基本の税金は、利益税にする。
これまで所得について課税していて、所得から国家が決めた経費を差し引いて、それに累進課税をしており、自己申告制だった。
これを、利益方式に変える。
課税の仕方はこうだ。(今年末の銀行預金-昨年の繰越預金)X税率をすべての口座に課税して、1月1日に引き落とす。
この形式にすれば、国民は選べる。
払いたくない人は利益が出ないようにかつかつにすれば良い、どうしても嫌なら無駄使いして減らせば良い。
払いたい人だけ残高を残せば良い。私は、たくさん働いて残してたくさん税金を払う方を選びたい。累進課税ではないので、多く残すほうが生活が楽にできることに、お気づきでしょうか。
払わない人生は、生きる意味もない人生と等価であることにも、気づくでしょう。
無駄使いもまた、景気を刺激する効果があり、昭和の後期のような、いい時代が訪れるはずです。
タンス貯金はどうするのか?って、税金は多くても30%泥棒にやられれば、いのちと100%持っていかれる。セコムに払っても、景気刺激策になるので、放っておく。
なにより、税務職員が要らなくなる。コンピュータ社会なので、税務調査など不要なこと、税理士は止めて会計士なれば良いだけ。
しっかりした経理が必要なのは、税に関係なく経営には当然なことなのです。
如何でしょうか。
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