鼎の軽重を問う
古代中国には、「鼎の軽重を問う。」と言った考えがあった。
鼎とは、3本足の煮炊きする釜のことで、縄文様の土器に3本足があって、底から火を掛けて食事を作るに使った道具で、時が流れて青銅器時代の釜を持つ王は、王家の歴史を象徴する器でありました。
国王の資質とは、天子として民のかまどの煙を朝な夕なに眺め、食が足りているか?を確かめ、民の生活が平穏であることを願う教育がされていたのです。
鼎の容量を碩量と呼び、王の器量を大きすることを「碩量を育む」すなわち、己自身の研鑽のことです。
臣下が王に、鼎の軽重を問うことは、器量を比べましょうと言う謎かけ、賢い後継者に恵まれなかった老王は、翌朝に逃散するより他無かった。
内部での戦いは民の疲弊を招き、外敵に付け込まれるからです。
そのようにしてかの国では、かつて国王になる為の教育の仕組みが整っていました。
我が国では、上に立つ者全員がそれを学び、平安の時代には「殿ご乱心」なる手段を持って、座敷牢に押し込めるが如き、防衛に余念がなかった時代を経て、つい先だってまで科挙や国王たる資質を備えた人々によって、まつりごとが執り行われて居ました。
しかるに昨今は、育ち卑しき者までが、政治家になることができ、失言やら失態の繰り返し。
あまつさえ、宰相までが、口からのでまかせを「ぺらぺら」喋るようになってしまいました。
殿ご乱心の部下もなく、ご維新の前の時代より崩れたまつりごとになって、清や朝鮮の二の舞いにもなりかねない情勢です。
アンダーコントロールもできてない、景気も停滞を通り越して崩壊寸前、変わり得る代議員は不在なら、
いっその事、大政奉還してしまったらどうだろう。
一番必要な教育は、宰相にだった。
宰相候補をたくさん育て、教育からし直そうではないか。
育てて、言わせて、やって見させて、国民投票で選べるような、そっちの憲法改正議論をしようではないかい。
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