国税の成り立ち
国税について、ワタシは実は研究者でありました。何故、もうひとつの仕事、土地家屋調査士は、公図のプロフェッショナルです。
明治維新において、列強から幕府の借財の返済も迫られた新政府は、国税をオカネで回収するため、年貢を廃止して地租に改めました。
朝三暮四だったのですが、「改まった」という効能を謳うために、田んぼや畑に価値すなわち、値段をつけて、天子様から国民にあげたのです。
大体、2反歩1円とかの価格を書いて、最初は「沽券」わかりにくかったので、「地券」として、全国民にあげて、その代わり30分の1の地租を払ってね。
これが、地租改正、その元となる測量、全国地押し調査を為して、地押し調査図を作って、地価を決め国税の基本としました。
(この辺り、論文書けるほど勉強しないと、プロの調査士になれないのです)
そもそも、稲作民族と狩猟民族では、国税に対する認識が違います。
狩猟民族が、国家に税金を払うのは、外敵から守ってもらう安全保障代。
一方、稲作民族の国税は、田んぼを創るために、疎水を開削・井溝を構築・区画して畦畔を造り田んぼを均してくれ、その間漁労により食料を整えるべく、指導してくれた天子様に、開墾が終了してから、その田んぼを元兵士が借りてイネを育て、収穫を農民と企画者である天子様と分け合ったのが基本。元寇まで外敵なんて居なかったのです。
収奪ではなかったのです。
海辺からより上流に、開拓者の子孫が登っていく為に、租庸調なる税方式が整えられて、租は天子様のとり分、庸の最初は、まさに子どもが上流の開墾に携わること、調とはその食料や衣服の手配。
やがて、開墾が日本全国に行き渡って、税収代行の官吏職が地頭職、地頭等の争いを未然に防ぐ守護職などができて、戦国時代になっても覇権を争ったのは、国税代理徴収権に他ならず。
お世話になってもいない盗賊には、今で言うところの大蔵省農政局職員の農民に、租庸調という制度を使わなかれば、お支払いはなかったと考えています。
そのようにして、日本人にとって納税とは、人々の役に立つべき種銭を支払うという、矜持があったはずです。
戦後にシャウプ税制で、地租が固定資産税になって地方自治体に、国税の主が所得税になっても、税を払う名誉が守られていました。
その名誉を取り去る法律が個人情報保護法で、表では国民の権利を守ってるふりして、裏で法律を駆使して税を逃れる大金持ちが、納税しなくなった事を見えなくしましたね。
これまで納税が名誉であったものを、落合や慎吾を使って、盗られるが如き表現で、所得税を消費税に変えましたね。
諸費税の悪税たるもう一つの特徴は、庶民にまで税の支払いが罰則に感じられるようにしてしまったこと。
人々はナゼ稼ぎオカネを欲しがるか?実は買物は楽しい。
バランスシート上でも出て行ったオカネに釣り合って、資産が増えるもので、買った時に消費するわけではない。
食べたり使って壊した時に消費なのだが、何故か買い物をすることがワルで、「悪い消費をした罰に消費税を課税するぞ」として、ドンドン税率を上げていくので、国民は耐え切れずに買い物を控えるようになってしまったのです。
誤算でしたね。小泉くんが言ってましたね。「間違いを改めるに、憚ることなかれダ。」と。
売上税にするべきだったのです。
何にしても朝三暮四で、所詮誰かから、所定のオカネを巻き上げないと、国家の体を保つこと不可能。
あろうことか、所得税の累進率を下げ、消費税を外国に課税する云われはないけど、戻す必要も理由もないのに、勝手な理論付けて輸出戻し税なる還付まで付けて、。
貧乏人から厚く、お金持ちへは薄くどころか、何兆円って無料にしたり戻した結果、国民は貧しくなって国内景気は消滅して損益分岐点を割ってしまった。
一方、お金持ちが不労所得、余ったカネの使いみちに困るほど、投機筋に流れて、コレまた思いもよらない博徒経済になってしまった。
この諸悪の根源が、消費税なのです。
新野党の皆さまは、そうした分析はなさらないのでしょうか。なさって「消費増税反対」や「5%減税」なんておっしゃらずに、『消費税廃止』と言ってくださいな。
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