土台が腐りかけてる家
我が国は、土台が腐れかけている家の様相を呈している。
その、基礎の原因は、人事にあると思う。
企業や自治体の人事を掌握する者が、覇権を唱えるには、実力の無いと自認しているのを、取り立てる処に工夫がある。
才能のあるやつを抜擢しても己の実力だと思うから感謝しないが、その任に欠けたることを知ってるのを採用すると、人事に感謝してイエスマンになる。
あとは、折にふれてアドバイスなり、強権を振るえば、カリスマのワンマン体制が敷ける。
組織論はひとえに権限の移譲なのである。
本当にうまく動かすには、能のあるのを見出して権限を移譲して、問題が有った時だけ責任を負うことをするだけでできる。
しかしそうでない組織に問題が起きると、任せられた経験がないので組織はうまく動けない。
T芝もSニーもSープも3菱も、N国も本県もおなじニオイがする。
本当は簡単だ。「全て任せるから、なんかあったら俺が責任を取る。」「消費者のため、市民のためになると思うことは、全てやれ。」というだけで、良いのである。
土台を直すのではない。基礎を打ち直す必要がある。
昭和40年50年代の三菱自工では、車体のボデイの板金製品の検査で、ノギスで板厚を測り、規定板厚以下は全て失格だった。
多少の形の歪みは問題でなく、板がしっかりしているかが重要だった。
理由は、「丈夫で安全」それが三菱だった。
かつらエンジンは、現場でバラして直せる。但し丈夫であること。だった。
新幹線に乗ってみると、窓が異常に小さいと思いませんか?脱線して反転なんか考えられないけど、乗客のいのちを護る考えが設計思想にあるからです。
乗合バスはどうか?まずひっくり返ることなど考えられないし前例もないが、窓枠は桟によって頑丈に作られている。
先の軽井沢の自動車事故はどうか?まさにこの会社のバスで、4mのガラスの窓が素晴らしい。
景観を重視して安全をないがしろにしている、代表的な例だ。
観光バスの転落事故は、いくらでも例があるというのに、転覆時に乗客を護る思想が見えてこない。
何故か?問われないからであろう。
バス運行会社の管理だけでは防ぎようがない。
シートベルトを締めていても今回の転覆では防ぎようがない。
乗客が死に至った直接の要因を、組織が外してなかったことにしてしまう。
基礎の処に日本の問題が潜んでいるのだと思う。
日本はすでに三流国に転落している。
武士道の矜持・道徳や哲学を根底から学び直すこと。
学んで己の襟を糺してから、教育をすることではないかと、思うこの頃である。
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