日本人のルーツ(その2)
縄文人の歴史は2万年位あるようなので、何処を通って来たかを問うに、その頃は陸続きだったそうな。
朝鮮半島と離れたのが1万年くらい前らしいので、縄文人の先祖であるネアンデルタール人は、半島経由なら歩いて日本に到達できたようです。
朝鮮の土器を調べると、縄文土器はなくウラル系の櫛目文土器の文化が開けているので、ネアンデルタール人は無事に逃れきっていたようです。
縄文時代後期に第二の人類が日本に来た頃の古代の朝鮮では、幾つかの国家が鼎立していて、狩猟騎馬民族による古代新自由主義国家形態であったようです。
日本が何故に統一国家成れしめたか?稲作を実行推進すること、すなわち堰を掘削開設して、条理の田んぼを開くことは、規律によって人々の労働を拡大管理するよりほかなく、屯田兵方式によって開墾し、完成した暁には彼らが農民として作付をしていくより他に無く、水田の計画・開墾・作付収穫までを、一人の資本(この場あいは知識と管理力)によって成されるより他に無く、このオペレーションを行った者が天皇家、すなわち倭国国王として年貢の徴収が可能になります。
農民は、もとより闘いより平和を好む民族、自分たちが作った田んぼに入植する。つい先年まで王に仕えていた近衛兵が今度は庄屋様、その名は権兵衛なるが故でありましょう。
朝鮮半島では狩猟民族なので、生きるために田を借りている概念が無いので、一人の国王に仕える概念はなく、年貢の理由も発見できなければ、暴力による支配と防衛の均衡を図る政治になって、国民が自ら開いた麦畑の収穫物や生活を略奪や暴力から護る意味の集団の国家観が形成されていくのでしょう。
日本では、農民は開墾では建設省のお役人、農民となったら、コメは貨幣なので大蔵省造幣局のお役人、国家の根幹がお米なら、農民は国家公務員の心意気であったのでしょう。
武士階級とは、年貢の代理徴収や集団納税業務を管理するお役人だったのです。
農民も武士も国家公務員、原始共産制国家の誕生です。
国家の側から見ると、農地という資本を治山治水して与え、年貢という利息を集める原始資本主義経済統一国家の誕生です。
律令時代という言葉に代表する国家管理制度、日本あるいは日本人が世界と異なる文化を持った所以です。
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