百姓は考える
生命は何処にあるのか?
動物(ヒト)の場合、赤ん坊に母体からの臍を伝って、生命が与えられて、。
という考えもできるが、植物の場合どうだろう?
1mmにも満たない種でも、春になって水温むと芽を出してくる。
種の生命活動の中で、突然に、根が伸び、緑の芽が育つ。
そこに生命を生み出す仕組みが隠されているのだろうか?
そして、その芽は確実に、たんぽぽはたんぽぽ、スギナはスギナに育つ。
パスツールは、「生命は生み出されない。」ことを証明している。
福岡伸一先生は、ヒトのサイズが1.7m位あるのは、原子の大きさの1億倍の大きさの時に安定するから、霊長類たるヒトはこのサイズで落ち着いているのだそうな。
だとしたら、植物の種に生命を創りだす力はない。
どこから来るのだろう?
昆虫の生き方にヒントがある。
青虫は葉緑素を循環系に取り入れ育ち、蛹になって乾燥して、しかるのちに羽化して成虫になる。
5-アミノレブリン酸(5-ALA)必須アミノ酸でもある。
これが生命の根幹なる因子、あるいは酵素か?
炭素(C)5個、窒素(N)1個のH2が結合して、NH2 アミノ基と
CH2が3個、=O酸素結合子、とCOOHからなる、生命根基の酵素
5-アミノライフアーゼと言うようなフレーズが良いのか。
こいつが8個で囲み、中にMg(マグネシウム)が入ると「葉緑素」
Fe(鉄)が入ると赤血球(ヘモグロビン)となるのだそうな。
この作用は、後日に譲るとして、葉が冬を迎えると、葉緑素が乾燥して、酵素がカプセル化して土中でお休み、春になって水に溶け種に吸い込まれて、そこに生きる場を確保する。
枯れた葉をヒトが煎じて飲む、カプセル化した酵素にFe2O3が結合して、ヘモグロビンになる。
昆虫は小さいのので、より原因子と近い動きをする。
酵素も、活動期、乾燥により休眠、水と温度で復活。
すなわち輪廻転生により、『生命は蘇る』のである。
イネであったものが、穀物になってMgが外れ、玄米を炊いて食べる。
ヒトの体内で、MgとFeが入れ替わり、ヘモグロビンになる。
役目を終えた5-ALAは、尿から排出されて、台地に戻りカプセル化してFeを外し、Mgを得る。
生命は、活動期と休眠期の両態を持っていて、植物は台地から生命を受け取る。
若しそのようになっているのなら、
人が生を受けて、その最大のミッションは、生命の連鎖を繋ぐこと。
子孫を残してはじめて、己の存在意義を得る。
だがしかし、この理論が真っ当なら、あるいは間違っていたとしても、
『野で、ションベンをする。』
このことが、己の遺伝子を、ダンゴムシだの蟻だの、クローバだのモグサに引き継ぐことになる。
立派に、己の足跡を、大地に刻み込むことが出来たではないか。
なんということだろう、今この瞬間に命尽きたとしても、悔いはないのだ。
しかし、も一つの真実もある。
生命の連鎖は、ワタシが生きている限り、何時から続いているかというと、20億年前に生命が誕生したとすれば、アメーバだった時、魚だった時、陸に上がってネズミだった時、猿だった時を経て、今日まで生命の鎖は、いっときも途切れず、また途中で誕生することもなく、営々と繋がっている生命であることもまた、まごうことなき真実なのだから、ワタシもあなたも選ばれし者なのである。
同じことは、路傍の雑草にも言える。そこに生えている限り、生命の連鎖を20億年重ねた結果なのである。
いま、貴方が畑の雑草の一つを摘んで、石の上に置いた瞬間、その草の20億年の歴史が完全に途絶えるのである。
田んぼの虫けらもカメムシも、はたまた、ヒエであれコナギとて同じこと。
殺せば、20億年の連鎖を断ち切るのは、あなたなのである。
その生命を奪い取る、正当な言い訳を私たちは見つけられるだろうか。
そのように考えながら、一人の男は、百姓を目指しているのです。
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