国交も、平和条約をそれぞれ結ぶことは、自由だ。
たまたま、戦争に負けた最初の国がアメリカ、次がソ連最後に中国が台頭してきた。
最初は、アメリカだったのは、もはや逃げられない関係なことは、ニホンジンの定めなので、誰のせいでもない。
騙されたてるのは、日露戦争以前の維新からなので、如何ともしがたい。
真珠湾もそうだ。まんまと罠にハマって、ボロ船を攻撃した。
高専で機械技術科の先生に聞きました。
銃身を抜くブローチ盤やら精密ホブ盤を大量に買い付けて、アメリカの港を出たのを確認して、真珠湾の日取りを決めている。
荷が届いて開けてみたら、先方は「インチ」で、日本は「分ネジ」使い物にならず、結局その努力は実らなかったし、その買い付けにより「開戦が近い」ことを教えたのは、日本側なのだ。
サプライ=輜重は兵器を造るところから始まるが、開戦の時、既に日本技術人は負けを覚悟していたらしい。
悪いことは重なるもので、日露の戦闘はその前にあり、ノモンハン事変では関東軍は敗戦している。
亡くなった父が生き残りなので、聞いた話では、ソ連軍の戦車は小さくてちょこちょこ走ってくる。日本軍のは重厚だった。
戦車は地雷を持った兵隊が、塹壕で待ち受けてクローラに放り込むと、片側がやられる。
ソ連は軽いのでソレを引っ張って戻して、再組立してやってくる。全部同じメーカーらしい。
日本のは、日立と三菱。こいつが互換性がない。1個やられればそれでオシマイ。
日本の銃剣は、村田銃と三八銃。弾の口径が違う。村田は小さくて殺傷力が弱いので、明治三八年に改良されて、三八銃口径が大きくて殺傷力が高かったそうな。
敗戦がこんでくると、三八のところに村田の弾が配給される。これでは撃てない。
「負けると思った。」ら、案の定負け、敗軍の将になってしまったのだそうな。
生き残ったものは、大隊長が死ねば中隊長が自分で名乗って大隊長に、ほとんどやられてしまったので、親父は伍長だったが、結局偉くなって、中隊を引きいる様になって、敗戦。
そのお陰で、真珠湾開戦日本軍は、「敗軍の将に指揮は任せられない」と、オヤジには赤紙は来なかった。おかげて今のワタシが居る。
その部隊は太平洋では赤紙が来ない者、来た者でも九十九里で、本土決戦部隊として生き延びたのだそうな。
全て、アタマを冷静にすれば、避けられるものを、熱くなって招いたのが、先の開戦と敗戦。
反省して轍を踏まぬよう、落ち着いて振る舞えば、今日のことは、おめでたいこと。
だが、日米安保を確保しながら、アメリカの許し得ないまま、ロシアとのあまりの仲良しは、首相の器量が試される時。
中国とも蜜月にならねば、改革の意味がない。
いずれのお方も、おっかねえ人達。ガンバレ安倍くん。
もう喧嘩するなんて言うなよ。仲良しのほうが良いじゃん。
大丈夫。小泉くんも言ってる。
過ちを糺すに、憚ることなかれ。だ。コロコロとどういうふうに変わっても、戦わない方なら良しとしたいもの。
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