(イノベーターの条件)問われる教育
ドラッカー著 イノベーターの条件(2000年翻訳版)
副題:社会の絆をいかに創造するか
第4章:問われる知識と教育
1章から3章は、予言だったが、すでに17年を経ているので、サラッと読むだけで理解できます。
将に、現代の日本において、知識や教育に問題が生じています。
著者は他の版でも、日本の大学に期待を寄せていますが、この部分をとれば間違いというより、日本人が期待を裏切っているのでしょうね。
「知識の世界は激動してやまない。今日の学部、学科、科目も、間もなく意味を失う。」
学問にジャンルをつけることに危険性を予言していました。
政治のステージにおいても、如何に意味のない闘争をしているか、学園モノが見事に教えています。
そうです。現実にジャンルなんか無かったのです。
例えば、イネ育てるにしろ、生物化学・化学・物理・電気・機械・土木・建築の応用技術に拠って為されていて、基本のところは生命工学で、医学も学ばなくては、本当に安全な食糧生産者になり得ません。
また、私の場合ではありますが、コメ売るためには醸造学を極め、マーケティングを学ばねば、先はありません。
極めた醸造学も、上手く伝えるためには心理学もマスターせねば。
会社を難なく転がすには、経済学や経営学が求められるし、お料理だってできるようにならなけりゃ。
伝える技術は、文学だって芸術のセンスも求められます。
それら全てに完結していないと、たったひとつの商品すら、売り続けることは出来ないと思います。
それが、たったひとつの言葉から始まっています。
「イノベーション」
幾多の著書あれども、innovation を正しく伝えているものは見当たりません。
経済学としてのイノベーションの歴史を学ぶと見えてきます。
「新結合」と訳されたシュンペーターのイノベーションは、まだ日本に上陸していないのかもしれません。
だとしたら、救いはあります。
資本主義の終焉の前にイノベーションの余地は残っていて、そのあとに来る社会もまた、予言されているからです。
「奉仕と参加の社会」原語は「贈与と参加の社会」でしたが、フランス語の贈与は、日本ではすでに奉仕と言うかたちで、社会性を持って存在していたのです。
日本型の社会制度こそが、明日の幸せを約束してくれる、新しい社会形態なのかもしれません。
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