(仮説)命をつなぐ食をつくる栽培工学概論 【肥料概念】
ルビコン橋を渡ろうとしている。
これまでワタシは、植物の栽培のことに限定して言及してきた。だが、考察を進める上で、それを食して健康に寄与させているヒトの問題も、同時に考えていかないと偏ってしまうことに気づいた。
そしてワタシは、これまで間違って考えていた事にも気づきました。
まずベンゼン環に代表される亀の甲の違いに気づきました。正否はまだわかりません。
無機質の亀の甲と、生物となり得る亀の甲が、似ているため底の部分が同じ物だと考えていましたが、決定的な違いを発見しました。
前者はベンゼン環。後者はハース(Haworth)の構造式と呼ぶらしい。
前者は、生物にはなり得ず、決定的な違いは、後者には生命の官能基がついて、生物となり得ること。
この生きた者に対する化学式に、それが書かれていないので、常に頭のなかで加えて、前者の物質と区別して考えなければいけないこと。
動物は、植物より高等で、主にセルロース(生命)を食べ、タンパク質(生命)に変えることができる。このことができるのは主に牛に代表される草食動物だが、植物と動物の一番の違いは、脳みそがあることだと思う。
小脳が内臓の各プラント機関をコントロールして、セルロース(生命)から肉体をつくりだすのだと思います。
一方、植物がその逆ができるか?はなはだ疑問であり、そうした高等なことはでき得ないと考えるほうが相当なのではないでしょうか。
だが、ワタシたちは魚滓などを、肥料として昔から使ってきた。これは何を意味するのだろうか?
こう考えることにした。
酵素である。
土中で休眠していた酵素と生命基は、水に溶けて根から吸収されて、草に依って復活活性化されて、葉に組み込まれ、生物活動のの一翼を担う。
それを食べた動物の体内において、同じ酵素と生命基は、タンパク質(生命)の生命活動にも寄与する。
また、血管中で培養も体験する。
つまり、ひとつの酵素は、植物と動物のどちらの生命体においても、活動して成長に寄与して、何回もその循環の中で生きている。
物によっては、化石となった太古の生命も、植物の中で蘇る事ができる。
そう考えると、先史の中で、カリ鉱石やリン鉱石として、肥料としての役割を得た、説明になる。
一方、その生命の環の中に馴染まない物質がある。それがベンゼン環の無機質ではないだろうか。
100年前のリン鉱石とPSO4が同じとは考えにくい。あるいはKClやKSO4がカリ鉱石だったとは。
最高の高等動物であるヒトが、KClやKSO4を食事と食卓にあげても、それが栄養になるとは考えにくい。
まして植物は、高等ではない。騙されてしまうのではないだろうか。植物は必要な肥料すなわち、休眠していた酵素と生命基を土中から吸い上げる時、これらの化学物質も土中にあれば、区別なく吸い上げ、構造が似ているため、騙されて組み込んでしまうのではないだろうか。
でも、その物質に生命基を転移することが出来ずに、穴として葉などを作り上げてしまうのではないだろうか。
穴だけなら良いが、その物質が酵素阻害剤やセルロース(生命)の生育を阻害した時、ウィルスが入り込む隙を与え、病気になる。
荒削りの理論の正否はさておき、土中から化学物質を取り除くことが、無農薬農業を可能にしている。この事実は、崩れない。
また、同じことが、みそ作り、醤油つくり、酒つくりの醸造の現場でも影響が出てくる。すなわち、発酵が芳しくならないのである。酵素阻害剤を取り除くと素晴らしい発酵特性を示すことからも、この理屈が理論に近づく所以なのです。
植物が病になる原因が酵素阻害剤の仕業であるところは、ヒトの場合にも当てはまるのではないだろうか。
そもそも、それが命をつなぐ食たる所以なのだが。
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