無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

水曜日, 11月 11, 2015

日本人のルーツ

日本人のルーツは縄文と弥生にあり。
昨晩NHKが山内丸山遺跡の解説を行っていましたが、小さな集落が大きな塊となっていったようです。
その歴史は1万年の間続いた、人間同士の戦いのない一番長い、世界でも例のない稀有な時代を形造っていたようです。

縄文火炎土器のようなもので煮炊きをする文化を作った。
残念なことに、このことにより、酵素を生きた状態で摂取することができなくなって、寿命が縮まったことが、他の文献により、平均寿命30歳だったとか。

栗林を人為的に増やして、冬の備蓄をしたらしい。
青森などの北日本では、冬をどうやって凌ぐかが課題だったのでしょう。
秋のサケ・マスなどの大量遡上による捕獲の乾燥備蓄、栗やどんぐりの乾燥備蓄が、集団化を促進したのだと思います。

多分、その乾燥施設と備蓄庫が、山内丸山遺跡の代表する6本の丸太穴。あれは見張り台ではなく、乾燥の塔と、積雪のため高い所にネズミ返しの付いた備蓄庫であったのではないでしょうか。
柱に漆を塗っていたのかもしれません。もう一度発掘して漆が発見されれば、この説が近いと思われます。

千年に一度の津波から逃れるためにも、浜から少し遠方のこの位置が選ばれたのでしょう。
冬の厳しさと海山の豊かさが、育んでくれた北の大地の文明だと思います。

さて、中央にある10mx30mの大きな家は何か?
各戸は夫婦の家だったと思います。多分主は女系家族。
夫婦となった者のうち、命を落とす確率の高いのは、外で狩りをする男であり、備蓄と煮炊きを司るのは女であると、主は冬のいのちを司る女になります。

男が先に死ぬと、子供は公共の施設に託され、公共の施設で育った選ばれた男が、夫になって新しい夫婦が誕生します。

妻が先になくなると、適齢期の娘が居ないとその家は途切れ、男と子は公共の施設に移り、そこでは共同の生活が営まれ、土器や乾燥技術の文化がつながれることで、短寿命の親子の相伝ではなく、公共の兄弟の総伝に依る醸成がされたのではないだろうか。

運良く夫婦が健在で、女のこが成長した時には家を継ぐことで、その継続が長い家の格は高まり発言権も増す。そのようなことで、戦のひつようのない平和な時が続いたのではないか。

南日本であっても、そうした緩やかな文化が育まれていた。
一方、稲作文化を持った民族は、穀物を乾燥させて煮炊きする食文化によって、酵素を活性化させて食べられる技術を持っていたため、天寿が全うでき長命である。

(後の弥生時代から平均年齢が高くなると同時に人口も爆発的に増えるのだが。)

そこに、越国から逃れてきた、漁撈稲作文化を持った兵士軍団がやってきた。
高度な文化と長命の寿命の民、また運良くその人達は倭人(すなわちイネを作る戦わないヒト)であった。

双方がヒトとヒトの戦いを好まない民族だった。倭人は男の集団、一方縄文集落には、女が圧倒的に多い環境。和合が形造られたことは納得がいく。

そのようにして、集落の中央で文化を持っていた女達が、嫁いでいって弥生式土器を作り、家庭を作ったことにより、新しい平和がもたらされ、津々浦々に田んぼが整えられたと考えられます。

今日は弥生の入り口まで。