無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

金曜日, 12月 11, 2015

食えるということ

ワタシは、家庭を持ってしばらくして稼ぎを失ったことがあり、米が穫れないのは子供の頃からの零細小作農と冷害で充分に体験しています。

最近では、ガスにやられて3日の絶食により、時々食えない悲哀を味わっています。

食えるということは何を意味するか?

国家が安泰で、戦争がなく他所の国にも出かけていないので、日本では普通は食える。
定期的な稼ぎがあって、これまでもこれからも安心して家庭を守っていけること。
妻が居て、毎日の献立を考えて、家族のために食事を用意してくれていること。
お客様の健康のために、を務めている農家や加工者がいて、安心の食べ物が手に入ること。
身体が元気で、お腹が空いていて食べられること。
手の自由が利き、自分で箸を使って口に食事を運べていること。

等々のラッキーが重なって、偶然食えているのです。全てに感謝です。

でも、実際にはそういう努力をしている先に、食えているという現実が有るのだと考えています。

「描かない未来は訪れない。」
「夢はかならず叶う、願え。」

この二つ、表現は違いますが一つの事実、未来は判らないのではなく、己の手でたぐり寄せるものだと、言うことです。

今の現実が、偶然ここにあるのではなく、「何もしなかったから」だったり「実現するために努力した結果」だったりして、「いま」があるのだと考え直しえみると、納得がいきます。

「どうせ駄目だ」はやはりだめになり、「未来を描いて、今が駄目」だっても、及ばなかったのかまだその時期ではなかったので、また「描いて」務めることをしている先に、明るい未来がある。と考えています。

ささやかな願いですが「食える」ことを続けていこうと考えています。