ライバル考
生きていくには、生き方のライバルが要る。
友人ではない、隣人でもない、必ず環境が違うので比べようにないのだ。
土とともに生きていると、同じ土を掘っている先祖が、ライバルであったことに気づく。
父、祖父、江戸時代のご先祖、当地は律令の裏街道沿いなので、律令時代のご先祖さま、みんな同じ土地を耕して、田んぼの石を拾って、子孫を残して死んでった。
ワタシも、その田んぼに立って、石を拾ってる。
土石流が襲ったらしく、山砕石の段丘ができてる田んぼの土手。
その田んぼで、泣きながら歯を食いしばって、砕石を拾ったご先祖が居て、田んぼが有る。
軍隊が通りすぎた時、山に逃げて田んぼを蹂躙されても、我慢して生きて、子孫を残したご先祖が居て、いま、ワタシは石を拾っている。
戦争に駆り出され、逃げ惑った父が居て、ワタシが田んぼに立っている。
ワタシが、頑張って、息子が立つことができる。
そのご先祖さま、子孫が本当のライバルだと、気づいた。
どうだろう、命からがら、食うや食わず、冷害、土石流、先祖の生きた時代は一時も平和の時がなかっただろう。
それに比べて、ワタシはどうだ。
戦争にも狩りだされていない。
喰うにも困っていない。
教育も充分でないにしろ、先祖に比べたら知識もツールも群を抜いてる。
好きなことやって、好きなこと言って活きている。
先祖が数珠の珠のひとつひとつだとしたら、曲がった珠、欠けた珠、ゴツゴツの珠、大きいの小さいの、様々だろう。
血まみれのも有るだろう。
その先祖が、途中で殺されず、苦しい中で挫折せずして、子孫を残したからこそ、今ワタシがこれを書いていられるのだ。奇跡に近い幸運だと思う。
ワタシの珠は、一番丸くて、一番大きくて、一番輝いていなければならない。
さもなければ、冥土に行ってご先祖に名乗れない。
せめて、精一杯生きて、大きな珠、まんまるな珠、出来れば透き通って、光り輝いた珠にしたい、と強く思う。
死ぬときに、それが判る。
大きさ、まるさ、透明度、輝き、死ぬ時にはじめて判るのだ。
だから、少しワクワクする。
そういう風に生きてれば、その時がいつ訪れようと、楽しみなのだ。
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