無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

日曜日, 1月 24, 2016

ライバル考

生きていくには、生き方のライバルが要る。

友人ではない、隣人でもない、必ず環境が違うので比べようにないのだ。

土とともに生きていると、同じ土を掘っている先祖が、ライバルであったことに気づく。

父、祖父、江戸時代のご先祖、当地は律令の裏街道沿いなので、律令時代のご先祖さま、みんな同じ土地を耕して、田んぼの石を拾って、子孫を残して死んでった。

ワタシも、その田んぼに立って、石を拾ってる。

土石流が襲ったらしく、山砕石の段丘ができてる田んぼの土手。

その田んぼで、泣きながら歯を食いしばって、砕石を拾ったご先祖が居て、田んぼが有る。

軍隊が通りすぎた時、山に逃げて田んぼを蹂躙されても、我慢して生きて、子孫を残したご先祖が居て、いま、ワタシは石を拾っている。

戦争に駆り出され、逃げ惑った父が居て、ワタシが田んぼに立っている。

ワタシが、頑張って、息子が立つことができる。

そのご先祖さま、子孫が本当のライバルだと、気づいた。


どうだろう、命からがら、食うや食わず、冷害、土石流、先祖の生きた時代は一時も平和の時がなかっただろう。

それに比べて、ワタシはどうだ。

戦争にも狩りだされていない。
喰うにも困っていない。
教育も充分でないにしろ、先祖に比べたら知識もツールも群を抜いてる。
好きなことやって、好きなこと言って活きている。

先祖が数珠の珠のひとつひとつだとしたら、曲がった珠、欠けた珠、ゴツゴツの珠、大きいの小さいの、様々だろう。
血まみれのも有るだろう。

その先祖が、途中で殺されず、苦しい中で挫折せずして、子孫を残したからこそ、今ワタシがこれを書いていられるのだ。奇跡に近い幸運だと思う。

ワタシの珠は、一番丸くて、一番大きくて、一番輝いていなければならない。
さもなければ、冥土に行ってご先祖に名乗れない。

せめて、精一杯生きて、大きな珠、まんまるな珠、出来れば透き通って、光り輝いた珠にしたい、と強く思う。

死ぬときに、それが判る。
大きさ、まるさ、透明度、輝き、死ぬ時にはじめて判るのだ。
だから、少しワクワクする。

そういう風に生きてれば、その時がいつ訪れようと、楽しみなのだ。