武士道とは、死ぬことと、みつけたり
ヒトは、絶対に死を体験することはできない。
死に至る最後の瞬間まで意識があるとすると、これから死に至る長さと、これまで生きてきた長さは、意識の中では釣り合っている。
ワタシは今66歳だが、これまで生きてきた66年間と、例えば百歳で死ぬとすれば、これからの33年間の長さと濃さを重ねれば、同じ重さになって釣り合う。
百歳になって、あと1日だとすると、生きてきた百年と残りの1日は同じ重さだ。
あと1秒でも、両者は釣り合う。
意識の中では永遠に死ねない。
ヒトは死んだことに気づかずに居て、意識の中では永遠に生きているのだが、廻りから見るとそんなこととは関係なく、時間は進んでしまうので、その方は死んでいくのだ。
死とは、そういうことだろう、とワタシは考えている。
では本当の死に方とは、釣り合った後の方の生き方を言うんだと思っている。
つまり、死に方とは、今からの生き方を言っている。
いさぎよく死ぬということは、潔く生きること。
いさぎよく生きるとは、かっこ悪くても精一杯努力して、いつ死ぬって実は解らないので、生きてる間は生に執着して、ひたすら活きることだと、ワタシは考えています。
どこかにぶつかって、遣り残してポックリ死んだら、それでオシマイ。
生きてるうちは、泥臭く、かっこ悪くが、かっこいい。
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