日本メソッド? 日本イズム
気がつけばワタシは、何回かまとめて学習していた。
最初は小学校の時、本の虫で小学校5年で分校から本校に進んだ時、図書館の大きさに惚れて、毎日放課後は図書館に居て読み、すべてのジャンルの本を数冊ずつ借りて戻った記憶がある。
2回目は中学2年から3年、家が貧しいので、父に「大学までは出せないが高専には出せる。」と謂われて、Bクラスだっったので3時まで勉強した。
3回めは設計室に入った時、高専では怠けていたので、計算が何もわからないので家に帰って、材料力学や電磁気論を毎晩読んだこと。
赤旗を振って失業して国家試験を4時までやったのが29歳の時、晴れて代理人稼業で一定の富と名声が手にできたが、一度知ってしまったものつくりの魅力にはあがらえず転職して、究極のモノ作りに農業を見つけ、自然栽培に向けて再び勉強の日々を送っています。
その度に山ほどの本を処分して、新しい本に埋まる日々を過ごしてきましたが、おかげですべての分野で自ら加工する技術と現場の理論を身につけることができています。
代理人稼業が、またお客さである経営者が考えなければならない意識に、精通させていただけるようになりました。
立ち位置は、交渉人ネゴシエーターとして評価もいただいて、今をなんとか生き抜けています。
読んだ本は、社会に出て40年間一日一冊を目標にしてましたので、そういう量になります。
さてその、生き方のコツは、「目的と目標に向かって、それぞれにPDCAを回して今日を生きる。」ことを見つけました。
ワタシの目的は、最初は「自分自身の長活き生き」でしたが、最近その目的を「みんなの長活き生き学校」にこっそり替えました。
コレに向かって、長いスパンのPDCAをまわすべく、明日の目標を定めます.。
目標に向かって、短いPDCAを回すべく「いまを精一杯生きる」ことだと思います。
最近わかったことがあります。
今の新興国は中国も含めて、昔、ワタシが体験した時代を生きています。
ワタシが入社した頃1970年代。めっき液の垂れ流しをしてましたね。図面の材料指定は、「鉄・アルミ・ベーク」、品質は、「現合」なんて書いてありました。
それを一つずつ、お客様の流域のBODやPPMを下げることに挑戦して、機械を受注し会社を立て直していきました。
シャフトには嵌め合い記号やリミットを定め、脆性破壊を防ぐべく、段付きのR部分に応力が集中しないような、旋盤の加工手順を書き込んだり、材料をJIS記号に替えたり、焼入れや熱処理研磨の手順を定めて、顧客に寄り添う壊れない機械に変えていきました。
この時培った改善の手法を、かの国の人たちに伝えることで世界を変える事ができると気づきました。
そして、伝えるべきは教えるのではなく、「その心や手法の開拓技術」であること。
体験して自ら考え「社会のためお客さまのために」を伝えることで、私たちが手にした「日本の技術の心の部分」を、新世界に向けて輸出することが、日本の立ち位置であることです。
その旗手は、若いヒトではなく、1970年代を生きたあるいは、カイゼンを生きた世代であることに気づきました。
そんな訳で、ワタシも自分の立ち位置は「こころを伝えること」であると、気づくに至りました。
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