真実を歪めたのは誰だ!
小保方晴子さんの手記がでたので、早速読んでみた。
「ボタンの掛け違い」が産んだ悲劇だったような気がする。
発想が秀才と違っていた。
思いもよらない発想で、天才肌の凡人なのであろう。
可愛かったことが幸いして災いになったような気がする。
男の子が思いついたこと言っても「バカヤローそんなわけあるか」ってオシマイだったのが、
可愛かったのが幸いして(災いして)教授に認められて、研究することになった。
結構当たってたんで、成果が出て次々とラッキーが進展して、
そう深い検証を誰もやっらないうちに、大事になっていった。
彼女はわけも分からず、流されていたことが読み取れる。
ふと気づいたら、ひどいことになってしまった。
ただただ可哀想である。
副題で、真実を歪めた者が居ることを伝えているが、手記には見えてこない。
関わった研究者・理研のエライさん・職員・報道陣の全てが、何かに突き動かされて、真実を歪めることに手を貸してしまっている事が読み取れる。
マスコミは、許される者には手加減せず、視聴率の取れる餌は逃がさない。
権力の思いのままだ。
自律した報道などは、存在しないのだろう。
その人達も、流されているのではないだろうか。
真実は知る必要がある。
その前に、それを上手く説明したり、隠してしまう術を手にしていないと、悲惨なことになる。
ある者はキチガイ扱いされ、ある者は無視されて、ある者が生け贄にされる。
それを責める者は、己が見えない者の手先になって、魔女狩りの犬なっていることも知らずに、吠え立ててしまうのである。
そいつらは宇宙人なのか、かたちなき者だとすれば単に群集心理なのかもしれない。
ちょうど、小鳥やコウモリが、夕暮れに大きな形を描いて、舞っているのに似た、そんな図が書き込まれていた。
こんな世を「もっと朗らかな世にしなければ」と思う。
そのために、真実を追求せんとする者は、それが科学であれ、社会秩序であれ、
答を見つけて、世間に発表する前に、
社会から受け入れられる術を、身に着けてからにしなければならないらしい。
理不尽だが、そうした勉強も、道を求める者には必要な気がする。
それにしても、小保方さんには、立ち直りは難しいのだろうが、この苦難を乗り越えて欲しい。
判っていることがある。
これに懲りて、他人は宛てにしないこと。
自分ひとりで収束するような仕事を探すより他ない。
それが、秀才ではない奇才の定めなのだから。
自分を信じ、己の力の及ぶところでもう一度、生を確かめる。
そして、元気になって、再び
「ヒトの役に立つヒトになりたい。」の想いが実現されるよう願うばかりである。
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