無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

水曜日, 5月 04, 2016

武石のこと

 復刻 信濃国絵図 小県編 
がダンボールから出てきました。

ローカルな話題ですが、上田市旧武石村の起源

2枚目の左上中央に武石城址が描いてあります。
明治のはじめの地図です。





上田市下武石の地図。

鎌倉時代に、千葉に本城があった武石胤盛が地頭になって武石城を構築しました。

城下町が形成されていて、枡形らしきクランクも在って、いまでもこの地域には、長屋門や土塀のある武家屋敷の趣があり、武石財閥を保っています。
トマ・ピケティの r>ḡ が納得いきます。
 
お城へ至る参道の右側が家老屋敷、左側が妙見寺。胤盛が妙見講を信心してたことが、千葉花見区の武石町千葉公の妙見神社などからも、一致点があります。


上武石の地図、90度CCWに回転させて、下武石の地図と繫がります。

ナゼここに?
がわかる理屈に、弥生時代に稲作が川を登ってくるのですが、最初に田んぼができる要件とは、鉄器によって、水路の開削や田んぼの造成が出来たとは、考えにくいですね。

用水路を引く時、河床に変化があると、水揚げに困難なので、河床が岩盤で下流に平原が広がっている地域が、最初に開けた地域だと思われます。

この地図の河川途中から河原があり、その上流は渓谷になっている。岩盤地点から用水を引くことにより、安定した取水ができるのです。地図の中央部分から分水しているのが判ります。

この地域上武石。

地図の中央の部分が、城主武石胤盛の館跡で、字名を堀之内。お屋敷の北に参道が付いた立派な神社があります。

城主は、毎朝神に祈ることが日課だったと思います。当時は八幡神社だったのでしょうか。字名は十二ノ宮です。

この習慣などが、国主の館跡などの参考資料になると思います。

付録 千葉氏の起源
https://www.city.chiba.jp/somu/shichokoshitsu/hisho/documents/151107taiwakai.pdf