反対からは何も生まれない、行動あるのみ。
勢いの良い「反対」、勇気ある「反対」どんなに叫んでも、何も生まれない。
虚しさが残るだけで、エネルギーの無駄と気づくべき。
なぜなら、他人を変えること他人の意見を変えることは、基本的にできない。
それより、勝手に始めてしまうこと。コイツはいとも簡単にできる。
なんでも良い、いつでも良い。自分勝手に始めてしまうべす。
最初ヒトは怪訝に思い、無視したり、笑ったり、批判したり、攻撃してくる。
でも、無視して構わず行動してると、色々あるけど早くやったヤツの勝ち。
いつの間にか、世間がこっちに向いてくる。
平和だって同じこと、「戦争反対」って叫んでる暇あったら、誰でも良い、誰かのいのちを守る行動に費やすべし。
命の危険って、そこら中に広がってる。
農薬で殺される危険。化学肥料で命持ってかれる危険。除草剤であかちゃんおかしくなる危険。殺虫剤で頭おかしくされる危険。いっぱい転がってる。
コイツやめるべく、百姓始めるの良い。
食品添加物・科学物資のお陰で病気になって、家族失うハメになるかも知れない。
これ守るべく、訳の分かった食事を自分で作ることもできる。
医者に殺されるって、言う前に医者にかからなければいけないほど、贅沢をしたり甘いものに制限をかけなかった自分に危険。
勉強して、健康になる自分に厳しく、家族に優しい人になることも出来る。
戦争だけでなく、命の危険なんてそこら中にあるが、国民ひとり一人が己と家族と友人と顧客の命を護るべき仕事を本気で始めれば、戦争なんて起きる余地もない。
戦争を好む国民が、戦争をしたい政治家を産み、戦争に突入するのだ。
一人ひとりが、安全をないがしろにして、邪な国民となったなら、邪な政治思想を持った外国が、武力を持って治めるべく到来するかもしれない。
平和を好み、安全を重視して、全ての国民が己の欲より、同胞や地球人のいのちを護る仕事を始めれば、その国の思想、姿が世界に広まる。
その広まるスピードが今は瞬時だ。
もし邪な国王がいても、我が国を武力で奪って、何か魅力があるのだろうか?
国民ひとり一人が、もっと、もっと、平和や安全に意識を注ぐべき時が今だと、思います。
己を振り返り、己のため、家族のため、友人のため、顧客のために、安全を考えて仕事しているだろうか?
お金のために、邪な心に目をつむっていることはないだろうか?
勝手に、「できない。」「出来っこない。」って決めつけていないだろうか?
今夜、しばし考えて欲しい。
思い立ったら、行動してみよう。 反対してると引きこまれちゃうよ。
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