モンゴルの騎兵
馬は人馬一体、育てるところから騎手が担うと、その馬はその主と一体するが、他の地域では、騎手と飼手は別であったことが、太平洋戦争時の関東軍の手法により理解。
馬は、車のようにキーでエンジンかけて、というわけにはいかず、朝から餌食べさせて手入れして、落ち着かせて鞍載せて、戦いに至るまで二時間と手間を要する。
当時の騎兵の要たるは奇襲であり、早朝より日昇の方角に構えて待ち、朝日を背に一斉に奇襲せしめれば、勝敗は一瞬のうちに終わる。
闇の中にあって、天文を観察して東あるいは東北東に位置して、確実に日昇時に朝日が背にできる位置に、構える為には、独特の馬の飼育が必要。
その能をすべて備えたのが、突厥の騎兵システム、その技術を科野に運ぶことが成功したのが、大海人皇子。
天智天皇後継を、朝日を背にして勝ち取ったのは、有名な話。
何も見えず、矢などつがえるものではありません。
旭将軍が勝ち進んだのも、西に向かってのことなので、そのルーツが、須波の騎馬にあったこと、理解いただけるでしょう。
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