無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

木曜日, 8月 17, 2017

モンゴルの騎兵

科野の騎兵のルーツは、モンゴルの兵法。
馬は人馬一体、育てるところから騎手が担うと、その馬はその主と一体するが、他の地域では、騎手と飼手は別であったことが、太平洋戦争時の関東軍の手法により理解。
馬は、車のようにキーでエンジンかけて、というわけにはいかず、朝から餌食べさせて手入れして、落ち着かせて鞍載せて、戦いに至るまで二時間と手間を要する。 
 だが、食事を一日一食にして、夜腹いっぱい食べさせて、食住を共にする者あれば、それに従う。
 
当時の騎兵の要たるは奇襲であり、早朝より日昇の方角に構えて待ち、朝日を背に一斉に奇襲せしめれば、勝敗は一瞬のうちに終わる。
 それを可能なら占めるのが、人馬一体と、日昇の観察と予測能力。
 闇の中にあって、天文を観察して東あるいは東北東に位置して、確実に日昇時に朝日が背にできる位置に、構える為には、独特の馬の飼育が必要。
 その能をすべて備えたのが、突厥の騎兵システム、その技術を科野に運ぶことが成功したのが、大海人皇子。
 天智天皇後継を、朝日を背にして勝ち取ったのは、有名な話。
 中央道を甲州へ、朝日を前にして走った事があるが、銀色に輝く日昇に向かうほど、恐ろしいものはない。
 何も見えず、矢などつがえるものではありません。
 進軍する方は、簡単。影に向かって突き進むだけ。
旭将軍が勝ち進んだのも、西に向かってのことなので、そのルーツが、須波の騎馬にあったこと、理解いただけるでしょう。