終戦記念日に思う
一番の罪人は、未必の殺人。高い見識を持っていた報道人、職を守ろうとして、すなわち、己が食うための給与欲しさに、権力に擦り寄り、忖度した報道を流したことにより、世論が構築されてしまったのです。
国会議員もまた同じ、一部の権力者の前に無言であった。
それ故に、下級軍人や軍属は、国民をまた植民地の人びとの、人権を無視して暴走しました。
朝鮮の女性や労働者の問題は、日本国内における日本人の問題でもありえます。
ただ、日本は敗戦国になって、進駐した米軍が旧日本軍のような振る舞いをせず、ソ連の共産主義に対抗して、進歩した民主主義を日本に対して施したことで、より幸いな今日を得ていました。朝鮮分断戦争の犠牲の下に、ニッポンの復興はなったことを忘れてはいけません。
いっぽう、朝鮮半島では、南北の軍事対決により、軍国主義を広めざるを得なかった事情もあって、個人の権利が制限された状態により、それぞれの国が、権力に都合よく解決をしてしまいました。
しかし、個人とか企業には、戦前戦後の思想的や政治的な変更はなく、そのまま個人として、軍属であった企業は、当時は仕方なかったと言えども、解体されなかった企業については人格としての制裁もなく、経済的には一貫して連続した企業として存在しています。
故に、植民時代の個人からの請求には、法的には、個々の企業として対応していかざるを得ないのではないでしょうか。
日本国現政府は、この問題の当事者ではないことに気づくべきです。
また、日本国民も、韓国民と同じ被害者としての立ち位置で、物事を考えないと、間違ったナショナリズムに支配されてしまいます。
政府間の合意は政府間の問題であり、この度の韓国民の言い分は、被害者としての復権であるので、加害者の関係者は論評できる地位にありません。
許すか許さざるは、被害者の特権で、加害者が主張できる代物でもないことを、日本人は理解し、感情とは区別して、肝に銘じて、終戦の日を迎えるべきではないだろうか。
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