昨年の今日から一週間に見聞きした出来事を通じて1年間に渡り考えて、私なりに行うべき事が見えてきたので、此処に記録して行動指針と致したいと思います。
これまで、経済という事を真剣に考ないまま生きてきて、自分、さあどうしたらよいか?薄々感じていてもそれを自信持って語れないので、踏み出せないジレンマを払拭するために、経済学を知ろうとした。
若い頃に社会学としてのマルクス主義を通して生きてきたこともあり、経済学としてのマルクスを学ぶことから始め、改めて経済の本質を知ることとなった。
経済とは、富の適切なる配分を主眼においた狭義の経済学と、人の生き方に関わる広義の経済学があり、後者を学ばなければならないことを知った。
東大の丸山真人教授に彼の師である玉野井芳郎先生を紹介して頂き、師の目を通じてマルクスやシュンペーターを学び、自分なりの結論がでました。
玉野井先生によると、マルクスは「交換」において、日本語では交換だが、ヨーロッパではExchangeとInterchangeがあり、共同体の内と外を分けて考えていた。この考えを取りいれないと現代の問題は解決できない。
狭義の経済で効率と利益を目指す限り、社会主義になっても経済は破綻すると現在の世相を予言していて、地域社会における人間の暮らしを考えないと経世済民は成立しない。
物理学者に向けて、宇宙で発する高熱を人間が利用できる範囲まで降下させるには、全く非生産的な仕事に頼って、多量のエネルギーを費やさなければならない。と1978年に警告しています。
また工学の専門家に向けて、過去1世紀の技術の進歩が可能になった背景には、それを支えた目に見えないような間接的な付加的なエネルギーの利用があったことを忘れてはならない。と忠告しています。
晩年のマルクスは、『人類は、古来より自然の中で農耕を主とした社会の中で、人間の生の持ちうる意味と尊厳を持って生きてきた。西ヨーロッパに出現した、中世封建制の解体の上に成り立った資本主義と呼ばれる歴史現象は、狭義の社会生活の一経験に過ぎない。この物理と化学からなる資本主義を受け入れるには、自分たちが持っている環境と生物学を同時に組み合わせた社会を創りだすことが求められている。』(玉野井)
やはり晩年のシュンペーターも、『これまでの生産中心の社会から、限られたエネルギーの中で生活中心の経済のありようを探していかなければならず、同時代の人にその考えがどのように扱われようが、それに気を取られることのないように。』と語っているようです。(独断)
私は地域社会の中で育てられたことによってか、資本主義の中では受け入れられがたい考え方を貫いて生きてきました。まさにそれが、これから必要であることに気づかされました。
限られたエネルギーの環境の中で「若者が生き続けられるよう」地域と農村に基軸を置いて残された人生を全うしたいと思います。