無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

土曜日, 7月 22, 2017

科野國聖地考


 科野國の聖地を探す。
生島足島神社は夏至の日昇線が重要であることを教えています。
夏至の朝に烏帽子の頂から日が昇る場所こそが、科野国の起源の地ではないかと思い至りました。
夏至を隔たること、丁度一ヶ月して、ようやく鳥居場の日昇に出会うことができました。
補正をしなければなりません。
東経138.2452度、北緯36.3733度、標高650mの地点での水平線からの日昇は、
本年6月21日、方位58.8912度から4時24分に、7月22日は、63.0130度です。
現地における実際の日昇は、本日5時17分烏帽子岳への仰角の分だけ遅れるのですが、一ヶ月の偏差角は、4度07分19秒です。

現地は山の上なので、機器を運ぶこと能わず、山専用の測量機「コンパス」を持参しました。
ご覧のように木立に阻まれて、正確な日昇位置を確かめられないことと、コンパスではせいぜい20分くらいまでしか解析できず、日昇点256度20分と烏帽子岳250度、奥烏帽子岳252度でありました。
偏差約4度だとすると、鳥居場では奥烏帽子岳からの日昇を見ることができそうです。

山を下りその足で、国衙台須波ヶ岡に向かい、烏帽子岳の測量をしてみると、252度30分辺り、奥烏帽子岳254度30分。
鳥居場との偏差2度30分、奥烏帽子と烏帽子の偏差は約2度あまり、ひょっとするとこの場所なら、烏帽子からあがるのが見えそう。

これにより、想定では666年に、この場所に「科野宮」あるいは「科野國州羽之宮」または「須波之宮」が、選ばれて建てられたのだと思い至りました。

 トランシッドを持参できなかったわけは、鳥居場が山の上だったから、国衙台は道端であり、而も烏帽子岳との間に遮るものなし、正確に日昇位置が割り出せそうです。
 明日以降のチャレンジ、乞うご期待です。

金曜日, 7月 07, 2017

(イノベーターの条件)問われる教育

ドラッカー著 イノベーターの条件(2000年翻訳版)
副題:社会の絆をいかに創造するか
第4章:問われる知識と教育
1章から3章は、予言だったが、すでに17年を経ているので、サラッと読むだけで理解できます。

 将に、現代の日本において、知識や教育に問題が生じています。
著者は他の版でも、日本の大学に期待を寄せていますが、この部分をとれば間違いというより、日本人が期待を裏切っているのでしょうね。

 「知識の世界は激動してやまない。今日の学部、学科、科目も、間もなく意味を失う。」
学問にジャンルをつけることに危険性を予言していました。
 政治のステージにおいても、如何に意味のない闘争をしているか、学園モノが見事に教えています。

 そうです。現実にジャンルなんか無かったのです。
例えば、イネ育てるにしろ、生物化学・化学・物理・電気・機械・土木・建築の応用技術に拠って為されていて、基本のところは生命工学で、医学も学ばなくては、本当に安全な食糧生産者になり得ません。
 また、私の場合ではありますが、コメ売るためには醸造学を極め、マーケティングを学ばねば、先はありません。
 極めた醸造学も、上手く伝えるためには心理学もマスターせねば。
 会社を難なく転がすには、経済学や経営学が求められるし、お料理だってできるようにならなけりゃ。
 伝える技術は、文学だって芸術のセンスも求められます。

 それら全てに完結していないと、たったひとつの商品すら、売り続けることは出来ないと思います。
 それが、たったひとつの言葉から始まっています。
「イノベーション」
 幾多の著書あれども、innovation を正しく伝えているものは見当たりません。
 経済学としてのイノベーションの歴史を学ぶと見えてきます。
「新結合」と訳されたシュンペーターのイノベーションは、まだ日本に上陸していないのかもしれません。
 だとしたら、救いはあります。
 資本主義の終焉の前にイノベーションの余地は残っていて、そのあとに来る社会もまた、予言されているからです。
 「奉仕と参加の社会」原語は「贈与と参加の社会」でしたが、フランス語の贈与は、日本ではすでに奉仕と言うかたちで、社会性を持って存在していたのです。

 日本型の社会制度こそが、明日の幸せを約束してくれる、新しい社会形態なのかもしれません。

木曜日, 7月 06, 2017

政治からの独立

 政治に頼れない国家になるでしょう。
ならば政府に近づいても意味がないですね。
 独立した機関であり、社会福祉が期待できる制度、それが商業であり経営です。
 アメリカでは企業年金があって、政府ではなく企業が年金制度を維持しているそうです。
 日本を見ていると、この方が安全であったことが、思い知らされます。
 
 しかし、此処は日本。
 高齢者の福祉について論評することは控えますが、己がやがて高齢になって、福祉をどのように迎えればよいか?
 こいつを考えて、対処しておきたい。
 手に職を持って、己が経営者となって働くこと。
雇われてはならないだろう、搾取されるだけだ。
 儲からなくてもいい、売上は僅かでも良いはずだ、高齢者となって僅かだが年金の支援もある。
 ビジネスとまでいかなくても、野菜つくり、コメつくり、竹細工、便利屋、ペンキ屋、ハギ屋、仕立て屋、なんでもいい。
 鶏の卵かえして、地飼いで卵とって、卵かけご飯売るのだって、やってみれば食べに来るヒト居るよ。
 儲からなくても、始めてみる。
 そうして、勉強して、ひとの生き方学び、お客様のために喜んで働くようになる。
「お客様には、健康で長生きして貰って、自分がダメになるまで来てもらおう。」って考えて勉強すると、自分も健康で長生きできる秘訣が判ってくる。
 福祉も介護も勉強すると、「どうすれば介護を受けずに生きられるか?」判ってくるようになる。
 判ったら、食に気を使って、自分で作れるものは自分で作って調理して、身体を使って運動していれば、100歳まで介護不要になる。
 ダメ元ですよ。
運が良ければ、そうなります。
 そんなヒト、政府も相手にしませんね。それでいいのです。

イノベーターの条件(ドラッカー著)

この本を買ったのは、2000年です。
最近は、本棚にある本を、再び読むようになりました。
 買った当時は、アメリカの問題を論じているので、時代が追いついていなかったのと、私が幼かった事もあって、名著だることに気づきませんでした。

 改めて読んでみると、アメリカの問題がいまの日本にそっくり当てはまり、また、高齢者が経済の中心になって、社会変革の原動力になり得るとの指摘も、他人事ではなく己の置かれている環境と一致しているだけに、深く考えながら読み進めています。

 政治に未来を託すことが、もう許されなくなっている社会と経済の問題を書いています。
 彼を読むたびに思うのは、マルクスをライバル視していることが、感じ取れます。
困難な時代の羅針盤を自任しているのです。

 でも、答えは出していませんので、読者自身が未来を読み解く心つもりを以って、もう一度深読みする必要があります。

火曜日, 7月 04, 2017

こんなひとたち、酷民よ。

国民に向かって、首相が、
「こんなひとたちに、負けるわけに行かない」
そりゃ、酷民は勝てないよ。
でも、AB氏は反省する必要ない。今まで通りでお願いしますよ。

 都民ファーストも、もう化けの皮が剥がれた。なにするひとたちなのか分からないまま。
結局、市民は「こんなひとたち」なのでしょうね。

 前回の総選挙のときには、「経済を上向けてくれる」「憲法は変えない」「TPPは反対」って言った、自民党にみんな入れてた。
 今回の選挙では、「憲法改悪の最右翼の会」名前を「とみんふぁーすと」に替えただけの実態のない会派に、みんなが入れてしまった。

 影で約束をして、実態を知っているので、思わず「こんな(無知の)ひとたち」って言ったったんだろうな。

 いいんだ、このままで、酷民の実態を知らずして、もっと好き勝手に踊るだろう。
やがて時間が経てば、化けの皮が剥がれる。

 その時、国民のエネルギーを、正気なひとたちに向かうように、酷民の一人として、考えていかなくてはならない。