無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

日曜日, 3月 30, 2014

発芽の原理を、空で図示できるようになること

発芽の原理を何処にいても、食堂の割り箸の竿にでも、サラサラと書けるようになることが、無農薬の米つくりの近道です。
この画像を見て、「種がこの様に発芽してくること」を知り、この種をまっぷたつに割って、拡大してみるだけで、真実の形や原理が大筋理解できます。
芽が出る前に根を伸ばすこと。芽を種から直接発芽させること。農協のおじさんにはできない芸当なのです。
ちなみに、この種の中の胚芽と胚乳の割合は?正解は3分の1が胚芽です。
教科書だけを読まないこと、読んだら、実践に移し、観察すること。
読むのは苦手でもスケッチはできる。スケッチは苦手でも写真は撮れる。勉強は読むことだけではありません。
百聞は一見に如かず。されど百見は一考に如かず、また、百考は一行に如かず。
聞くより観察、よく考えて、行動に移す。することに優る研究は無し。百姓が百姓たる所以であり、大学教授に優る自然科学者たる所以です。
答えは、大自然にあり。
農業の価値は、自然を蘇らせることにあって、自然を征服することではありません。

無農薬の米つくりと慣行農法を同時にやらないこと

除草がたいへん・生活が苦しいと言う理由で、片や、無農薬の米つくり、片や、除草剤を使う慣行農法での米つくりを同時に行うと、自分の中で精神がコントロールできなくなります。
もし、精神に支障が出ないようであるならば、「うそ・ごまかし」が上手にできる人。
それを続けていると、好機には凌げますが、一旦窮地に陥ったときに、間違った判断をしてしまう様になります。
どうしても、無農薬農業を選びたいなら、思い切って全部切り替えるか、農業を片手間にして、農業以外の処で稼ぐ手段を持たないと、難しいと思います。
元々食品業界は、腕によりを掛けて新鮮でない材料・美味しくない材料を使って、美味しい料理を作り上げる。職人の加工の腕が自慢の処です。
百姓が挑戦できるのは、その世界ではなく、自然に如何に助けて貰って、安全で美味しい食糧を創りだすかであります。
「自然を味方に付ける」これに勝る手段は無く、自然に教わり、自然を理解して、こちらを自然に沿わせていくこと、これが極意です。
悩んだとき、どちらを選ぶか?答えはひとつ。難しい方を選ぶことに尽きます。何故悩むか?正しい答えが難しい方にあるからです。易しい方にあるのなら、悩む必要はありません。従って、貴方が悩むのは、「正しい答えは難しい方にある」ことを知りながら、「易しい方を選ぼうかどうしようか」で、まよっているだけ。時間の無駄、難しい方を選ぶのです。
そんな困難な選択肢ではなく、何かするとき選ぶ必要がある事項は、自分ができる範囲で「他人がやりたがらないこと」をすることを選び出すのです。やりたがらないこととは、「臭い・うるさい・めんどくさい」ことで、心が決まればできることなので、することができ、他人が好まないので経済的にも応分の収入が得られ、生きていくこと可能です。
仕事をしている内に、自分も嫌ですので、それらのことを工夫して改善していくことができ、1年もすれば大半は解決して、嫌なことではなくなります。それが人間力なのです。そのとき、あなたは今していることが、「他人にできないこと」に変わっていることに気づくでしょう。
無農薬農業の秘訣は、無化学肥料により酵素の働きを最大限にすることであり、酵素阻害剤を土から取り除くことで、誰もやりたがらないことをしている内に、それができるようになるのです。土が自然に還れば、何もしなくても無農薬が可能になって、作物は病気にならないは、綺麗な野菜はたくさん収穫はできるは、できた物は美味しいと言うことになるのです。
自律躬行
自分でルールを作って自分で守ること。他人が作ったルールですと、それを守っているだけでもストレス、しかも同列には何人も居るようになり、競争もはげしいまま。自分が作ったきびしいルールを守るのは自分だからストレス無し、完成すれば品質は国士無双。値段も思いのまま。
しかし、困難は尽きないので、自分の心を身を弓にしてまでも実行するべし。

浸種温度・催芽温度について:酵素を元に考える

イネ種の発芽温度について、積算温度が気になるところです。
温度管理は、酵素の活性化温度との相関性を以て決めるべきだと考えています。
酵素は、浸種すなわち水環境にある前提で7℃以下は不活性。9℃を超えるところから36℃が最も活性化を示す温度として捉え、比例配分ではなく乗じての配分になっていくはずです。(1.5乗から3乗までのどこかの数字)
従って浸種は、7℃以下の不活性範囲で行い、清水によりひと月くらい行うと良いと思いますが、温暖な地方では高温になる恐れがあるので要注意です。
また、浸種あるいは催芽に光は禁物ですので覆いをして行います。
また、素人はカビが怖いので、湿ったままの種を空中に長時間晒さないことも成功の秘訣で、塩水選から播種まで間断なく水中にあるようにしましょう。
催芽温度の計算:(例えば浸積温度が27℃の場合)活性温度での積算をします。27-7=20℃として、20掛ける4.5日が90日℃位が発芽の目安です。
浸種を終えて催芽に移るには、その前日5日を用意して、27℃の水槽に浸け温度を掛けて水を循環します。水が種の中を自由に通れるように、袋は緩く閉めたりして風通しならぬ水通しの良い環境を作りましょう。
一説には、ひとつかみ袋に入れて前日より催芽させれば、判断が楽にできるそうです。
私は、4日目に見て、発芽が進んでいたら、最後の日の温度を10℃に近づけたり、遅れていたら356℃に上げたりして調節して、当日を迎えることがよいと思います。
播種の日は、水を切って(洗濯機が良いそうです)新聞紙に広げて、できるだけ鳩胸にも日光を当てる事がよいと思っています。
触って手に付かなければ、その程度の乾燥で良いと思います。
余った種は、予備としてハウスの中で再乾燥させて保管しておき、田植え後に摺って食べています。失敗したら、その種を再度播きますと芽が出てきます。

経営指針:パタゴニア主義

自然のフールドにおいて着用するウェアなどのメーカーであるパタゴニア:創始者イヴォン・シュイナードが提唱する経営手法が凄い。
自然環境を守ることが経営の第一命題として、「健康な地球をつくる」ことが企業存続の条件で、利益もそれのために稼ぎ出すべきだとしている。考え方に共感を覚え同じ道を歩むことが成功への近道であると信じる。
既にある田園に水を通し、自然を蘇らせる米つくりを通じて、より美味しいお米を作ることができ、さらにお客さまの健康が守られる。この仕事を通じて地域も元気になり、自分たちも潤う。
新しい商品も、同じ思想の元に開発して、同じ思想を持つ仲間と顧客のために、共に地球の環境を守る為に努力することとしたい。

わたしが作付けを始めて数年になる田んぼが、上下小寺尾の中間の中居地積にあります。どうやら、そこにヘイケホタルが舞っているらしい。ことが上田市のホタル博士によりもたらされた。今年の7月が楽しみである。全く考えていなかったことなので驚きですが、そこは昔からヘイケホタルのメッカで、子供の頃そこまで見に行ったことを思い出します。その復活に手を貸していたとすれば、それはこの上ない喜びです。

春:酵素阻害剤が不健康の元凶

 画像上はルバーブの発芽。春一番に芽が出て葉を広げます、勢いが凄い。
下段はホオズキの発芽、加温した発芽箱の中での発芽で、こちらもいずれは旺盛な育成を誇りますが、まだ春先はヒヨッコ。
酵素の活性化は生命活動の源、生命は新しく誕生している訳ではなく、転移酵素などにより、生命基(官能基と呼ぶらしい)は、自然界に充ち満ちていて、私はその使い回しの概念を持っています。
転移酵素の仕事は、水中に溶けた酸素・窒素・炭素・水素の基質を以て、新しく素材を作りそこに官能基を移してあげると、生命の先端ができあがる。
これが成長。動物も植物も一緒。
その構成を阻害する物質は、無機質の化学物質であり酵素阻害剤であったりします。元々自然界に無い酵素阻害剤を、土中や体内から取り除いてやることや、そもそも置かないことが健康の源です。
ヒトの食事においても、酵素阻害剤を食さなければ、体も無駄な努力をする必要もなく、放っておいても健康で居られるはずで、野菜や肉に含まれている、化学肥料の不純物・農薬・殺虫剤・除草剤・抗生物質を食べているから、ガンになったり難病になったりするので、野菜もイネも自然界にない物質は必要ないのだから、与えなければそれはそれで健康に育つのです。

酵素を考える杜氏を探しています

植物の生長に欠かせないのが、転移酵素。そのエサを創りだす炭水化物と消化酵素。酵素を抜きにしたら無農薬農業は構築できない。
酵素は何処から何処に、移動経緯を辿れば、植物の酵素を動物が食べて、動物の生命も維持している。酵素は使い回しなのです。
酵素は昔、大海の中で育まれたので、海水のミネラル成分が最大良好な培養環境になります。
血液の成分は、昔の大海の組成と一致するはずで、血液の温度36℃と海のミネラル成分が酵素を培養する最適環境です。
酵素の活動域は、9℃から始まり、18℃が日本酒の醸成温度、36℃が体温と糀の培養温度、45℃が植物酵素活性の域、63℃で酵素不活性になります。
酵素は温度以外に乾燥でも休眠状態に移り、乾燥が先に進むと高温にも耐えることができるので、麦芽酵素の休眠は、モルトは石ムロで焼き、80℃が白、120℃が黒ビールの違いであるように、酵素は高温乾燥にて保存再生することができる性質を持っています。
漢方薬やお茶コーヒーは、全てこの理論で植物酵素を保存して、今度は煮溶かして再生して動物の役に立つものに変える仕組みです。
穀物の煮炊きによる食糧化も同じ理論により、皮が付いた玄米状態で煮炊きすれば、酵素は保存された状態で再生活性化されます。皮を剥いで胚乳だけを食すれば、栄養過多(偏り)になって、動物の血液中において酵素不足に陥り、糖過多になる所以です。
糖尿病は、昔、帝王病と呼ばれたように、貧乏人は玄米玄麦を食べ、帝王が白米白麦を食べて居たからです。
ビール醸造では、白麦ではできなかったので、今日も玄麦で行っていますが、日本酒では、日本人の技術の高さから、糀をつくり出して玄米から造る酒を失ってしまったようですが、本来の日本酒というか、米の酒の旨さは玄米に有るのでは?と考えていて、「酵素に注目する杜氏に出会いたい。」と願っています。

pizzer石窯つくり、中段

 ようやく窯のドームの石を積み始めます。
一番下の石は、基礎の金具に力が掛かるように、引っかけて積みます。
石と石の間にはモルタルを詰めて固定します。型枠に沿って、耐火セメントを流し込み、ドームを作っていきます。
ちょっと、ドリアンみたいになりましたね。
2日目は3段積めました。

一等米、特Aの無農薬の米つくり

一等米の基準は、青米の多寡ではなく、カメムシの食害の割合であることを知りました。カメムシの害を除くには、7月までの土手の草を刈り、コロニーを形成しないこと、8月になったら草刈りを止めて、土手をコロニーのままにしておくこと。
これだけで、カメムシ被害ゼロ、すなわち一等米が誕生します。
カメムシは、土手の環境の方が暮らしやすいので土手に暮らしていますが、草を根こそぎ刈られてしまうと、棲むところを失ってイネに移ります。慣行農法では、まず8月にはいると有線で草刈りを叫び、土手から田んぼにカメムシを誘い、しかる後にカメムシ防除の宣伝を有線に流すと、一等米等級欲しさに、殺虫剤:ネオニコチノイドが売れる仕組みです。
次に、特Aの基準とは、整米比率75%以上、米を摺ったときに粒が原形のまま大きな粒で整ってることが、美味しい米の秘訣でもあります。自然に育てれば、元々発芽できる種なので、原形を保った米になることなど当たり前なのですが、何故か摺ると割れてしまうのです。
この原因は、登熟後の田んぼの乾燥と残暑にあります。
田んぼに水があれば、稲は生きていられますが、水生の根を育てていた処に、最後になって水を抜かれ、ひび割れができるほど乾かされれば、人間だってのどが渇き顔も手も足もガサガサになってしまうのは、当たり前ではないでしょうか。難しい理屈ではなく、不自然でしょう。
「胴割れ米を作る指導をしている。」ので、胴割れしてしまうのです。
稲刈り直前まで、田んぼに豊かに水が有れば、整米率100%のコメが収穫できます。特AAAです。

無農薬稲作の原理

無農薬の稲作では、強いイネを作ることを目指す。
それは自然に任せることが一番の近道になるはずです。種の項で触れたように、植物の生長には、酵素と糖分が重要なことが判る。昔、酵素はタメ(溜:30人位の農民の汗を集める為、篤農家は小作人を風呂に呼び、浴槽の中で体を洗わせ、落とし水を南側の軒先の地下桶に溜めて醸成した。)を掛けることで、血液中の酵素を培養して肥やしとしていました。
今は、EMなどを培養することでその役目を果たします。
糖分は、冬季湛水によるイトミミズの冬季の活動が知られています。そうでなくても、微小生物が土中で活動できる環境(無化学肥料・無農薬)を調えることで、土を豊かにすることができます。こうして、自然に任せることで、病害に強いイネが育ちます。
次に、常に過酷な環境におくこと、種は氷点下を体験させ、冷水を体験させて春を迎え、発芽時には水を控え芽より根を先に出して伸ばす。踏んだり蹴ったりも必要なようです。土の道に生えているイネ科の雑草を見ると、平たくたくさんに分げつをしている株を発見できます。それと同じ種を土手側に探すと、だいたい2株くらいに分げつしたのが、ヒュンと伸びて群生しています。全体量は同じですが、ひと株あたりの勢いは、轍の下の草が圧倒的に勝っています。これが自然の凄さだと思います。考え方はここにあります。
水草の雑草:一番やっかいなヒエとホタルイは、田植え後12cm以上の深水を保てば、生えてきても浮いてしまい見えなくなってしまいます。
コナギは、客土や冬季湛水などで水を濁すこと、分げつと繁殖を促進させて陽の光を遮ることでも、育成を押さえることができることが報告されています。
更なる深水20cmとか30cmを可能にすれば、水草とは無縁な稲作が可能です。
私は、弥生の稲作は、深水が稲・粟・稗の中から自然がイネを選び出した結果に、日本の繁栄と全ての地域への稲作の普及が有ったのではないかと、考えています。

土曜日, 3月 29, 2014

屯田兵による弥生の稲作

長江漁労稲作民族による、日本列島屯田による弥生時代の稲作では、鉄器はあるにはあったが、原始林の大木を切り倒し平原にする道具があったとは聞いていない。
畑の字源は田に火を掛けた耕地のこと、畠の字源は田んぼの土が乾いて白くなった耕地のこと、どちらもハタケ、そこには水はない。
では、田はどうか?乾いた田は乾田、現在の乾期の秋田冬田も字がない。田には水が張ってあることが前提条件だった様である。
何故か?開墾の方法を考えてみた。
道具は無い。力が有れば石が動かせる。石を動かして低い方に石垣を築く、それに芝土を被せて畦を作ると、田に土土で畦・田に低い方半分で畔、すなわち畦畔が先にできる。その中にある木に火を掛けると畑、大木に火を掛けると木は焼け死に翌年には枯れ木となり葉と枝を失う、しかる後に水を引き入れると、大木は1反歩に数本を残して、水面には日差しが差すことになり、田んぼで稲作ができる。
田んぼに通年水を張っておくことで、大木は再び芽を伸ばすことができずに、数十年後には朽ち果てるのだろう。
注水以後、苗場で作った苗を用意すれば、毎年深水に田植えをして稲を育てることができる。
ヒエや粟もイネと同時に生えてきても、収穫期が違うので片手と革袋があれば、それぞれを収穫することができ、イネも穂だけ摘み取る方法が、一番手っ取り早く確実に革袋に入れることができ、雪が降って水が凍るまで遅れてきた分けつ桿のイネも長期に渡って収穫を続けることができる。
この様にして、冬季湛水深水稲作方法であると、かなり高冷地でも稲作が可能で、早くから北の地まで高標高の里まで田んぼが津々浦々に行き渡った事が頷ける。
秋津島、とんぼのこと日本のこと、秋にも田んぼに水があれば後期分けつ桿を収穫できる津、秋津島。瑞穂の國、水の穂、収穫時に田んぼに水があった事が語られているのである。
そのことから、稲作は全体を通して水田の中で行われていたのであり、冬季湛水は古くて新しい農法なのだ。

種が教えてくれた植物の成長理論

イネの種の成分は、胚芽の成長点以外は、デンプンや脂分で出来ている胚乳、の他は皮の部分を除くとそれだけである。
皮と胚乳の間の部分には消化酵素が仕込まれていて、浸種後水を吸って溶け出して胚乳のデンプンや脂分を糖分に変える。
糖分は何の役目をするかというと、胚芽の成長点にある転移酵素のエサになる。転移酵素は、糖分と皮に含まれているミネラルを使って根と芽をつくり、イネの場合無肥料でも、種の成分だけで2葉まで育つことが出来る。
つまり、植物の生長に欠かせないモノ、転移酵素とそのエサの糖分、酵素が活動できる水と温度と酸素であり、転移酵素が取り込むべき植物の基材となる酸素・窒素・炭素を大気を水に溶かして、水素を水中から得て、植物は生長する。
もし、リービッヒの言うように硝酸態窒素とアンモニアが必要なら、どこかに硝酸アンモニアで出来た種があるはずだが、誰も見たことがないのは何故だろう。

その様にして、イネは成長を始めるのだ。

イネの種からの成長を見ていると、水中で発芽した場合水深が深いと芽が先に出る。イネの種は比重が1.2と重いので芽が水面に出るまで浮かばずに伸ばすことができる。葉が空気に触れると乾燥するので、今度は水を吸う為根が伸びてくる。こうして、イネは根無し草にならずに済むのだ。
これがヒエの場合、芽が5センチを過ぎる頃、種が小さいので全体が浮力で浮いてしまう。浮くと根を太く伸ばすことができるが、陸地を見つけない限り数日を経ると、何故かくしゃくしゃと折れ曲がって、生涯を終えるのである。

このことが、深水が稲作を支援してくれる、大きなターニングポイントになる事に気づいた。
画像の冬季湛水田の水は、清流を入れているのに濁っている。
赤粘土の細かい土を客土した田に冬季湛水をすると、微小生物が越冬できるので春になって彼らが生活をしてうごめいている為、水底がかき回されて濁っているのだ。
彼らが出してくれる糞が、糖分なのである。種が供給した糖分の代替成分として、無肥料でも無農薬・無殺虫剤なら冬季湛水により、それが手に入り稲は育つのであり、同様にして生物が活性化すれば酵素も増えて、かなり寒いところでも古代であってもイネが収穫できた所以である。

大先祖は、長江漁労稲作屯田兵

日本人の祖先は、北から来た狩猟民族の縄文人、そこに黄河流域の騎馬民族の漢民族に追われた、東の海に新天地を求めた長江流域の呉越人、船に乗って日本の地にたどり着き、湊を見つけ魚を食べて入江の奥に水田を開拓して、稲作文化を創りあげた屯田兵たち。
兵ですから男子のみ、条里田を作る規律は屯田兵特有のもので、北海道に例を見ることができますように、各地にある四角の田んぼは屯田によってできた田んぼ、堰ができ、田んぼができると屯田兵は農民となり、現地の縄文人を妻にして飛躍的な発展を遂げるのです。
湊から始まった屯田は、その企画者つまり呉越の隊長に差し出す租(稲束をまな板に載せるの字が租であり米の収穫を揃えて出すの意味。)により、その上流の開拓好適地が、その子等により屯田されていった過程が、今も残っている集落の中の疎水に沿って四角に区画されて居る田んぼ。
疎水がとぎれるところにある等高線に沿っている棚田は、それ以後に屯田技術を身に付けた農民が、出来る方法で開墾した新開田で、検地までの間は租税の掛からない田んぼの名残。
その盟主が天皇家であり、年貢の地租は天皇に差し出す理由は、元兵士だったからであり、租庸調のありようが屯田制の名残と考えている。以後跋扈した豪族であっても租税権を手に出来ず、代理徴収権が二千年続いた理由であり、地租改正が出来たのも王政復古故のことが、想像できる。
このことが、自然の田んぼをつくる上で、重要なことになる事を筆者は、ふる里の田んぼのありようを見て知ったのです。
古事記に依れば、祖先の移動経緯は明らかで、この度遠き歴史の中にあった弟子が、高天原に赴くに当たり、その歴史の偶然を知り餞の意味も込めて、ここに大筋を書き記そうと思い立ちました。

自然の湊に立ち、大畝原を臨む

我、十有余にして学に志し、三十にして立つも、四十にして大いに惑う。
四十五にして、工学技術者として生きた十五年と代理者として生きた十五年を省みて、技術者の哲学教育・測量代理人の自律活動・市民の代弁人等々、天命を探るも志悉く天に届かず、五十五にして都落つ。
捲土重来を誓い地にまみれること八年、六十にして耳順うを契機に三年、遅れること四半世紀を経てようやく不惑に至り、同じく十三年にして天命を知るに至る。

我いま、自然の湊に立ち、大畝原を臨む。

レッドオーシャンに漕ぎ出して半世紀、半生を掛けて湊にたどり着く、省みればたくさんの後悔だったが、必要な邂逅の挙げ句なのであろう。
大畝原は将にブルーオーシャン、大自然の海は蕩々と波打って、眼前に広がる。

化学肥料を使わず、除草剤も使わず、農薬も使わず、殺虫剤を使わないで、米がまずいと言われる寒冷地において、酵素と清流で大規模に自然の田んぼを蘇らせ、美味しいお米を豊かに稔らせ、寒村を豊かな自然と米どころに変えようと思う。

水曜日, 3月 26, 2014

今年は順調に播種

今年の稲作がはじまりました。まず播種をしました。
 私は、風邪を引いてしまい、足でまといになりながら、米の乾燥を担当しました。
とんぼハウスのYさんに手伝って貰って、順調に進みました。

時折、強風が吹きましたが、骨組みの補強で丈夫なって、ビニールは膨らんでいましたが、ハウスが揺すれなくなって、中にいても安心でした。
(昔は、揺すれて怖かったです)


金曜日, 3月 21, 2014

彼岸に働く

 「怠け者の彼岸働き」なる言葉があるけれど、雪で遅れてしまったので、お彼岸なのに働きました。
左の画像は、25日に播種の予定で、こちらは順調に間に合っています。(息子の仕事)
問題なのはこっち。
田んぼの畦きりが遅れていて、先日雪原に棚倉ミネラル撒いて、ようやく雪が消えたので、畦波板を張る準備。
クボタのGT3に付いてきた鋤を取り付けてみたら、結構上手く行きました。
少し、順調。


土曜日, 3月 15, 2014

pizzer石窯中子製作

 石窯の中子を製作。
本日着手前の様子。先週ここまでやりました。

ベニヤ板を細く切り、型枠の沿わせて巻き付け、篭のように編みます。


ベニヤ板は型枠に時々ビス留めします。
小麦粉を湯で溶いて、糊をつくり(たくさん)新聞を切った紙を貼り付けて、それを重ねていきます。かなり厚化粧になったところで、サランラップで、表面をラッピングしておくと、これが耐熱セメント用の中子の型枠になるのです。




金曜日, 3月 14, 2014

pala ピールとも、パーラーとも

 手作りのpala ピールとも言うし、パーラーとも発音するらしいです。
どちらがイタリア語、どちらがフランス語、英語圏ではスコップ、用は、熾きや薪を調節する火かき棒、それとピザを廻したり取り出す道具です。

月曜日, 3月 03, 2014

種籾の浸種・石窯床均し

 種籾の浸種が為されています。
最初12.5℃から入り、以後低温で浸種しますと、病気に強いイネが育ちます。
石窯の床面の均しが終わりました。
これから、ドームの木型をつくり、周りに石を積んでいきます。いよいよ、形が見えてきます。

日曜日, 3月 02, 2014

デジタルサーモ盤設置

 デジタルサーモ盤を設置して貰いました。
電検三種お持ちのプロフェッショナル。
足下は、リード線をパイプに入れて、つまずかないように確保しました。