無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

日曜日, 8月 30, 2015

平和に暮らす工夫

ことの発端は、アメリカの力が弱くなって、中国の力が強くなってしまったところにあると思います。
アメリカの言いなりになれない一方、同じ戦争に負けた中国とは戦う意志があるというのでしょうか。
日本の犯した罪は、明治から敗戦までの政治が話し合いではなく、戦争を選んだこと。その結果、外国人はもとより自国民の多くを失った。
昔、鬼畜米英と敵視して、人道に劣る空襲や原爆で多くの民間人を失った、永久に許せないであろうA級敵国アメリカと、いま、仲良く出来ていることは、どんな国とも話し合いで仲良くできることを如実に示していて、戦いだけが唯一の解決法でないことの明確な証明なのである。
自分の意見を通すのに他国のヒトを殺して、その恐怖に依って従わせようとする戦争という方法を選べば、一時の蛮勇にあこがれようと、必ず両国民にひっぺ返しが来て、再び反省を迫られることは目に見えている。
私達は、その愚挙は繰り返してはならない。
では、どうすればよいか。いつも韓国がお手本のように思います。
かつては沖縄もそうでした。列強は武器を携え脅してきますが、ふたつあるいはみっつの強者がいる場合、弱者が選べることは、強者の意識を変えることはできないので、それぞれの国を対立させ、それぞれが直接戦うことが愚かであると自覚させながら緊張を保ち、平衡こそが唯一の解決法であるように導くことより他にできない。
領土問題は絶好の好機であろう。境界線に不安定な部分があることは、そこに両者が歩み寄る幅がある事を示している。互いに自分のモノだと主張もしている事実がある。互いにそう思っているコトがチャンスだと思います。
また、領土問題や国のありようを除いて、経済問題では互いに連携することでしか成立しない状況にあります。
いま、中国と一戦を交える事体が発生すれば、店頭から商品が姿を消し、日本の大企業はもとより中小企業までも潰れてしまい、もう一度経済を立て直すには戦後の混乱と同じくらいのエネルギーを必要とするはずである。
両国が経済的に欠かせざる間柄であることを利用して、世界のマーケットに向けて協力する姿勢を示し、経済を好転させるためにその場を利用する。
尖閣列島と北方領土の問題を棚上げにして、両国が共に上陸利用できるようにして、両国の経済交流の場にすることです。
長崎の出島のようにして、そこは、両国の見本市であったり貿易交渉の場であったり、自由に行き来できるようにして、そこには緊張はあるが有効の場にして、第三国のお金を運び込む仕掛けの場にすることです。
尖閣列島は、中国・台湾・日本の、三方に飛行場と港を儲けそれぞれが上陸できるようにして、それぞれの商品展示場を作り、自由に行き来できるようにする。中央部にはそれぞれの文化による宿泊施設を造り、それぞれが交渉できるようにして、互いの振興が図れるようにしたらどうだろうか。
北方領土のほうが2国間なのでやりやすい気がします。そこができれば、竹島も独島もそれに倣うのは必至、少し前のように仲良くできるのではないでしょうか。
お金が一方通行だから、心が離れるのです。お金が行き来すれば、人心も行き来します。

福島について

緊急に解決しておかないといけない問題があります。福島の原発のメルトダウンしたいる燃料の回収です。その他の問題は、いま、である必要性は薄いのです。
英知を集めて、。とは謂いますが、方法は一つしかありません。
落下スピードを確認して、技術的に受け止められる時期の深さにトンネルを掘り、その地下に受け止める設備を整え、その場で細分回収する方法を考え、運び出してコントロールできる様にする。
このことを、実行するべく、何時するか?どの深さまで?なのです。
それまで、今の不安定を支えるにはどうすればいいのか。政治家や官僚は宛になりません。私達が考えないととんでもないことになりそうです。
何もできない一般人はどうすればいいか?長崎の永井医師が教えてくれています。EMの比嘉教授と上田市の大広建設の宮原社長が実験して、酵素に効果があることを実証しています。
酵素をふんだんに摂取することにより、健康体を構築して身体に不必要な放射性物質を取り込まないようにできる。また、入った重金属も酵素の健康体になれば、排出されるのです。
酵素玄米食と生みその味噌汁の昔の食事が効果的です。
市販のみそは店頭に並べるために酵素を殺しているので、ただの塩味の塊で効果は期待できません。手前味噌か樽売の小分け味噌、まいみそののように生で通販している味噌に効果が期待できます。
白米食は、酵素部分を取り去っているので、玄米食をお薦めしますが、市場の玄米は化学肥料や除草剤が果皮に含まれているので、逆に危険です。
化学肥料や除草剤殺虫剤を使わずに育てた自然米の玄米を、酵素が生きるように炊いた食事をおすすめします。
すでに癌に侵されてしまったら、副作用による死亡が問題になっている抗癌剤ではなく、糖分の摂取をやめて、断食による自己治療でも治るというのですから、癌になる前の予防として、糖分の制限とダイエットによる自己管理の3本立ての食生活によって、安全が宣言されるまで生き延びることです。

環境農村工学を目指す

我が母校、長野高専に環境都市工学科があります。
以下は、その案内です。
環境都市工学とは、人間生活全てに関わり、豊かで住みよい環境を創造していくための学問です。具体的には、新幹線・高速道路・空港などの交通施設、上下水道・ガス・電気通信などの生活基盤を充実させ街並みを整える都市計画、河川・土砂災害などに関する防災施設などの社会基盤の整備手法について学び、環境アセスメント・ビオトープなど、自然環境との共生を考えるための学問です。
今後、最も必要とされているのは「環境にやさしい社会」創りです。高度成長期の「自然の征服」を信念とした開発で、公害問題が数多く発生しました。その後も自然のバランスが崩され、野生生物の減少やエネルギー資源の枯渇などの、地球規模での環境問題が深刻化してきました。自然のバランスがひとたび乱れると、元に戻るには何十年も何百年もかかります。私たち環境都市工学を学ぶ技術者は、安全で快適な社会を整備する技術を学ぶと同時に、地球上のさまざまな生物が安全に暮らしてゆける「環境にやさしい社会」を創り出し、豊かな自然を取り戻すために、全力を尽くしています。  以上長野高専のHPより転載

私は、環境農村工学を目指します。

これまで、私が研究している農法を農業工学と表明していましたが、目指している方向が明確になっていなかったので、農業を農村に替え頭に環境をつけましたら、ぴったり嵌る名称になりましたので、母校のパクリではありますが、以後「環境農村工学」と名乗ることにします。

環境農村工学とは、「環境に優しい農村」創りです。
これまでの「自然の征服」を信念とした農業生産体制によって、病害虫を駆除するという名目のもと、自然界の小さないのちが殺されて自然のバランスが崩れ、最近では昆虫だけでなく小鳥やカラスなども減少しています。
都市で作った法律により狩りなどが規制されて、ペットが野生化したり鹿が増えて農地や集落がが柵で囲われるなど、自然でない農村の姿に様変わりして、豊かな自然との共生が難しくなってしまいました。

また、農薬や除草剤・殺虫剤・抗生物質など、菌類を殺す薬品や植物の成長を妨げる薬品・昆虫や小動物を殺す薬品・ウイルスを殺す薬品、また化学肥料と銘打って工業生産の産業廃棄物の廃棄場所を農地に選んだことにより、農産物に残留した化学物質が奇性や癌を引き起こし、ヒトの健康をも蝕むもとになってしまい、問題が深刻化してきました。
また、農業を主産業としていた農村には後継になるべく魅力も薄れ、農業での生活の保証もないことから、農村に住んでも農地や山林を守る人材が枯渇していて、明日の農村に対して希望を抱けない現実があります。
私達はこのことを知り、先祖が2000年に渡り培ってきたふるさとを、ひとびとが安心して暮らしていける方策を求め、自然あふれる魅力ある地域を創りだして行きたいと考えています。

工業における「ものつくり」とは、物質の形を変えて組み合わせるだけで無から有を生み出してはいないが、農業と林業におけるものつくりは、その大多数を自然が行う無から有を生み出す行為で、人間は手を添える程度の貢献であり理想的な「ものつくり」の場であろう。
その為に、工学の知識を駆使して自然界の営みを学び、田畑に自然の原理を導入して、化学物質を使わない農法を試み、農村で生計が立つような方法を確立して、豊かな自然を蘇らせると同時に、ひとびとが安心して幸せに暮らしていけるふるさとを創ります。


金曜日, 8月 14, 2015

終戦記念日を迎えるについて。

 ワタシは、戦後5年して生まれました。 その当時、近所のおじさんたちはまだ軍服を着たりしていて、みんなが凄く貧しいけれどゆったりしていて、今思えば明治や江戸時代の最後の部分がそにあったのでしょう。
 父は、太平洋戦争に招集されなかったのですが、その理由がノモンハン事変の敗残兵だったことが最近理解出来ました。 再招集すると上官になるので、負け戦をした者に指揮を取らせるわけにいかないので招集しなかったのです。 関東軍司令官の器量が推し判れます。

 父は時々ソ連兵や中国人のことを話してくれたけど、民同士は同じ人間として争っては居なかったようです。
 父から戦争の惨さを知ったわけではないですが、当時を生きた者として、戦争がもたらした貧困は味わいました。

 そして、戦後の反省の教育を受け、先生は直接教えてくれなかったですが、自分の力で学ぶことを教えていただき、本の虫となって、多くの反省をした父の年代の方の本を読み、ワタシの人格は形成されたと思っています。
 どんな理由があれ「自分が生きるために、他人の命を奪うこと。」をしてはいけないのだと考えています。 それは、戦争だけでなく毎日の生活の中にあります。

 直接的ではなくても、間接的に他人の命を蝕む行為も、また注意深くして、避けねばなりません。 私に出来ることは、農業の場面で安全な栽培方法を確立すること、そうして誰もが安全な耕作を望めば、それが実現できるようにすることです。

 誰彼なしで隣人に安全な農業家になることは望みません。 せめて、ワタシの周りでそういう農業を望むヒトが居たなら、普通に農業に取り組む感じで、安全な農業家になる事ができるようにして差し上げたいと思っています。

 そのためにも、無農薬の安全な米つくり、大豆つくり、もう一歩なので頑張りたいと考えて、決意を新たにしているところです。