モンゴリアン・史那の国物語を書いて
長野県人のルーツを探る歴史旅。
3分の1は縄文人
あとは、大陸からの渡来人。
ヒトの移動は全て、逃げてきた。
でも、どうしようもない逆境をバネにして、発展を掴んでいた。
最初のヒトは、ホモ・サピエンスに追われたネアンデルタール人らしい。
戦わないことをひたすら選んで、逃げおおせた稀有な、世界唯一の先人が祖先30%。
一方、中国大陸では、戦に負けて鍛鉄の奴隷だったモンゴル高原の突厥の民、500年から600年にかけて、流鏑馬と鍛鉄により、北の世界を支配する阿史那王の子孫。
やはり戦に負けて、戦いの技と鍛鉄を以って、大陸を渡り筑紫都督府に駐在し、阿蘇に新天地を求めるも、白村江の戦いに敗れ、帰る道を失い、史那の国造りを目指して、「科野国之州羽海」上田市小牧に渡来する。
流鏑馬のできる騎馬兵と馬を、都に送ることで活路を見出すも、後ろ盾の天武天皇失脚して、販売先を貴族に変えしたたかに蘇り、信濃の国造りの要となって、長野県全体を発展させる。
その時、協力したのが、洩矢神に代表される縄文人と、美濃から渡来した稲作弥生人と技を持った百済人。これで長野県人オールスター。
主産業は騎馬兵の軍事産業だけど、残ったヒトは基本的に戦わずに、ヒトや技をやりくりして、販売先を器用に変えて、生き残って来ました。
木曽義仲に加勢して敗戦後にも、一旦討伐されるものの、諏訪神社信仰など利用して、馬と兵の供給を上手にヤッて、生き返っています。
真田氏も、イネのできない山家を逆手に取って、武具と騎馬兵を育て、赤備えの兵を売ることにより、したたかに戦国時代を生き抜けた。
みな、逆境をバネに、国の歴史に影響を与える産業に育てています。
その先祖の選んだ生き様は、進軍しては負けているが、地元では戦わない方法を探して、掴み取っている。
どうも、それがいいようだ。
さて、いま、勝ち組はさておき、庶民は負け組になっているよう。
情勢判断すれば、まさに国民総勢が負け組になっている大ピンチ。
信濃の歴史の倣いによれば、明日はチャンスの時らしい。
信濃の歴史では、考えなくても解る敗戦だが、今をそこに置き換えた者が、明日の活路の発見者になれそう。
「いいじゃん。」「駄目ではない。」という方には、無縁なお話し。
「駄目だ。」って、分かったやつにチャンスはある。
さあ、どうだ。