無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

金曜日, 3月 31, 2017

もし、生まれ替わるとしたら!

「もし、生まれ替わるとしたら、あなたはどう生きるか?」
を、先日問われました。
みんなは、
「今の仕事やらないなあ。」「あんなこと、こんなことやりたい。」
で、盛り上がりました。

帰宅してから考えました。
「きっと、67年前の武石のAさんとYさんに、生まれ変わっている。」
AさんやYさんがいて、今の私がいる。
AさんやYさんはもういないが、私は生きている。

ワタシは、『自分が生きたいという自分』を、いま生きる努力をしている。
何人分もの、人生だが、
ワタシが生きることで、AさんやYさんの無念を晴らすことができるかもしれない。

幾通りもの人生は、厳しいけど、
生きてる限り、贅沢を言うつもりはない。
なにしろ、ワタシは生きていられるのだから。

AさんYさんの生きた所で、今日もワタシは生きるのです。
ワタシが生きてる限り。

自然栽培を目指すあなたに。

糸賀 啓治
10時間前
知識を得たいと想うあなたへーーー
知識を得たいと本をよみ、人の話に耳をかたむけ、師弟の間柄をつくって学びするあなた、・・・
それは今すぐお待ちなさい。
凡ての事は、すべてあなた自身のなかに用意されています。
虚心に向き合うあなた自身の中には、この宇宙の凡てがあります。
外に求めているあいだは観得なかった、あらゆる疑問、凡ゆる真理が、あなた自身の中にあります。
心配することはありません。
いずれ必ず、願いさえしていれば、出会うことになります。
知識はじぶんの世界観のかわるものでないと意味がありません。
それは、自分の理解をはるかに超えるものだからです。
だから、自分の意識下で探すあいだは出逢えません。
まったく当たり前のことですね。
恣意・作為を捨て、無為に撤すれば適う世界観です。
だから、老子の教え、「無為自然」の言葉だけが生き生きしてくるのです。
超イイね。して、下文追加
化学は知ろうとしなくてもいいが、自然科学は学びなさい。
芽がどのような仕組みで、発芽するか?
種の変化を、自分の手で解剖して、
毎日の違いを顕微鏡で見て、絵に書いて理解しよう。
種の登熟の変化も、同じように見て、理解しよう。
そうして、自然科学を学び、命がどこから来るのか?
考えて、仮説でいいから自分の結論を得て、
そいつをヒトに伝えられるまで、学ぼう。
何も見ずに黒板に描いて、伝えられるようになるまで。
それがプロの農家、現場で栽培するコツです。
そうすれば、あなたはもう植物を病気にすることはないだろう。
自然界の命の仕組みがわかると、
それは哺乳類にも適応できるので、
ヒトの健康にも寄与する知識となります。
あなたの作った野菜やお米は、ヒトの健康に役立つ。
完全に安全な、食料を創り出す、知識を得たことに気づくでしょう。
美味しいは、安全とは限らないが、
安全の食料は、必ず美味しい。
なぜなら、それが一番自然で、
ヒトは、もともと自然児だったのですから。
自然栽培を目指すあなたに、
学ぶことから、目をそらしてはならない。
学ぶ姿勢が、あなたをとんでもなく強くしてくれる。

水曜日, 3月 29, 2017

公開講座とマルシエの記事

農の間マルシエの信濃毎日新聞27日の記事
調査士会研究報告会の東信ジャーナル29日の記事

土曜日, 3月 25, 2017

播種準備中

27日28日に播種を行う予定ですので、浸種温度を上げて、その日に向けて催芽を開始しました。
これまで5℃くらいで浸種していたものを、最初は12℃にあげて数日、27日にハト胸発芽になるように温度と日数を逆算して調整するのです。
12℃で慣らしを行うのは、気の早いのも遅いのも、等しく発芽モードになるようにするためです。
酵素の活性は、温度に比して(比例ではなく1.5乗くらいか)活性が高まりますので、低温域での慣らしが効果を奏し、みんなが揃って発芽するようにできます。
自然栽培理論先行だけでなく、実は細かいところも気を使って、イネを育てているのです。
27・28日に播種をします。
 その準備のため、苗箱に土を入れておきます。
播種機で、土入れもできる優れものなのです。スズテック20条播き1時間300箱処理タイプですが、息子はユックリ確実にやるタイプです。
土入れ5日播種3日使うと、まあ、一日のための機械ではなくなり、それなりに利用したような気になりますね。
 床に、棚倉ミネラルを播種機能を使って入れ、その上に覆土機能を使って土入れをしました。
お袋、94歳の総監督です。




自然に生きる

その昔、欧州では肥料は、動物の死骸の堆積層や海の堆積層が化石となっていた鉱石を、リン鉱石とかカリ鉱石といって、輸入して使っていました。
チリ鉱石は窒素ですので、窒素・リン・カリが肥料の代名詞だったのでしょう。
リービッヒが1850年ころ、それを化学物質で置き換えることを研究して、N・P・Kの思想ができました。日本では大塩平八郎が大砲をぶっ放した頃です。
ネットで「窒素固定」と入れて、画像検索してみると判りますが、150年経っても、まだその現場を誰も観たことがありません。
空想の化学です。
本当かどうかが疑問の150年も前の理論が、大手を振って農業の現場ではまかり通っています。
PとKに至っては、透析患者になると医者が「リンとカリのない食べ物を」と言います。化学物質のP・Kは、植物は育っても、多く摂り過ぎるとヒトの腎臓では分離できずに、血液中に残ってしまう恐ろしい物質なのです。
戦前では硝安が肥料でした。火薬工場で造れたからです。戦後は鉄の生産現場で硫安が採れますので、硫安に変わりました。前者は硝酸とアンモニアが窒素の化合物ですが、後者は半分が窒素の化合物で、ご都合主義なのです。
趣味の領域になりますが、そんなものを使わなくても、身近にある枯れ葉や雑草が化学肥料の代わりになって、おいしい野菜ができます。
それだけを食べていると、何故か元気になって長生きができます。
活き活きと長生きができるのが実感できるのは、年金生活者になってからですので、一部の貧乏のヒト向けですが、国民年金の数万円の支給者など向けに、そうした農法によるおかずやお米を生産して、生き抜けていく方法があるのです。

月曜日, 3月 13, 2017

州羽の海から八条院璋子内親王まで

白村江の戦い663年
州羽の海と科野国府673年

天武天皇即位673年
天武天皇の遷都計画の設計図686年

木曽義仲挙兵1180年
巴御前・手塚別当須波に戻る1184年
八条院璋子内親王華表の山探索1186年

生島足島神社夏至の日昇の方角


金曜日, 3月 10, 2017

殺虫剤

虫だけを殺すのかと思っていませんか?
薬品はそんな器用なことはできません。
生きているモノから、生命が続かないようにする作用を持つ物質を調合したのが殺虫剤。
菌も殺します。
主に化学物質からなっていて、それが生命体即ち酵素に取り付いて、酵素の組成を変え生命活動をできなくする仕事をするのです。

酵素は球状タンパク質ですので、タンパク質やアミノ酸に取り付いて、活動を阻害します。
除草剤なども植物専用のものではなく、生命活動即ち、タンパク質やアミノ酸に作用するものですから、動物にとっても有害であるのです。

菌や昆虫は質量が小さいので致死量に至りますが、ニンゲンの体内器官の独立した要素が、昆虫より小さい部位があれば、それはやはり致死量に達することになり、その器官が壊死に至ったり、機能不全になることが予測されます。

事実、農家の方々がお亡くなりになるケースを注意深く観ていると、「農薬の多用が元ではないのかなあ?」と思われる方々が散見できます。

「疑わしきは使わず。」により、残り少ない余生を長活き生きの側に変える可能性があるとすれば、ワタシは多少の減産であっても、そのほうが良いのではないかと思います。

木曜日, 3月 09, 2017

除草剤の要求項目

1.    溶剤100mlくらいで、300坪の田んぼの隅々まで行き渡る
2.    水面に広がったら、静かに沈降して土の表面全体を覆う
3.    植物の芽の先端が土から覗いて来たら、芽の先端から葉の中に潜り込み、植物の成長点に至る
4.    成長点のタンパク質のアミノ酸に取り付いて転移酵素を死に至らせしめる
5.    死んだ植物から離れて、新しい発芽に備える

この機能を満足しているのが水田いっぱつ除草剤です。
隅々まで浸透させるため、界面活性剤が使われています。昔は10m位しか広がりませんので、田んぼの何箇所かに撒きましたが、今は田の隅1箇所でOKです。
この性質の薬剤が体内に入ると、身体の細部にまで行き渡り、先端のアミノ酸の精製を阻害します。
神経の伝達は電気信号ではなく、神経細胞の先端にアセチルコリンという興奮酵素が隣の組織に伝えて、興奮を起こします。
ややあると、興奮を鎮めるアセチルコリンエステラーゼが分泌して、アセチルコリンを鎮め、常態になる構造になっています。
ネオニコチノイドなどは、そのアセチルコリンエステラーゼを阻害する機能があるので、興奮を鎮めることがうまくできなくなります。
蜂に取り込まれると、蜂は興奮して飛び続けすに戻ることができなくなるそうです。
ニンゲンの神経系統も昆虫と同じ仕組みになっているそうで、胎児期や幼児期の小さい体重の時にそれに侵されると、感情をうまくコントロールすることが困難なヒトになる恐れがあります。

界面活性剤のもう一つの特徴は、隅々までいきわたり細胞をかいくぐって、タンパク質に取り込みいつまでもそこに留まることができる。
化粧品にも同じ薬品が使われていますので、香りがアミノ酸に染み付いて、長く薫る事ができる性質になっています。
丈夫なカラダの方はそれをミネラルとして蓄積しても大丈夫ですが、ワタシの場合、その薫りが3日の苦難を強いられるようになります。
経皮毒と呼ばれて、呼吸や皮膚から体内に取り込まれて、妊婦の場合に羊水に蓄積して赤ちゃんに送られ、アトピーや発達障害になる恐れがあります。


農薬でも、主剤ではなく展着剤という名称でそれが使われていますので、知らず知らずに毒されてしまう恐れがあるので、自然由来のモノによって代替えする意識が必要です。

月曜日, 3月 06, 2017

科野大宮起源

科野大宮社石碑

国衙台または須波ヶ岡旧址

常田は (古 須波と稱す社の地高く平かにして傍らに国衙あり 故に須波ヶ岡と号し又国衙台と曰ふ
訳: 常田の宮の旧宮は、平安時代の豪族の須波氏の宮にて、社のあった土地は一段と高い台地にあり、傍らに国府がありました。
それで、須波ヶ岡とか国衙台と謂われていました。
 
(その場所は、大字諏訪形と大字小牧の境目、科野大宮社の向いている方角の丘の上にあります。(滝沢主税先生の小牧の地図の大宮社旧跡の場所))
 天武天皇十三年都を科野に遷さんと欲す 小紫三野王小錦下采女朝臣筑羅を遣はして地形を相せしむ 二人岡に至り圖を製し社に祈る果して吉なり還りて奏し)為に神戸を置く 其の社を摂する六所と曰ふ 国司祀典を修む
訳: 天武天皇13年(686年)に、都をこの上田に持ってこようという試みが有って、小紫(こむらさき)の官位の三野王(みぬおう)と小錦(こにしき)の官位の下采女朝臣筑羅(しもうねめあそんちくら)を派遣して、地形を見るに二人須波ヶ丘から山に登り、地図を整え神主に占ってもらい、天皇に報告し、その為に神社と氏子の里を六ケ所整えました。
遷都の安置社としての生島足島神社を、山の上から冬至の日没線の先下之郷に、その生島足島神社の向かう北の三ツ頭山との直線の上、山の中腹に安曽神社を起源として大日堂と小泉郷を、山の上から国衙台の須波の社を旧址として延長線上、古安曽神社・小泉大日堂との正三角形に大宮を整え、科野大宮社として、
科野大宮より北、太郎山を玄武にして御所を置くべく大星神社と上田郷を設置し、左に諏訪形のに国府脇に竈戸皇神宮を、右に科野国分寺の6神戸(かんべ)を整えたと謂われています。国司はそこにお参りをすることを努めとしました。
常田の社と郷はその時に、ここに移されたのです。
文治中 常田は 八須波絛院璋子内親王の荘田たり 故に常田の荘と稱す 内親王華表を山上に建つ 社を距ること南三百歩ばかり 鳥居場と稱するは旧址なり
訳: 常田を治めていた、(須波郷小牧・諏訪形・御所・中之条・下之条・国分・常田)京都駅付近にお住まいの鳥羽天皇の皇女の八絛院璋子内親王が、文治年間(1185年から1189年)に、華表(大鳥居)を山の上に建てた。
科野大宮旧址の須波の社から、南へ300歩(約600m)ほど登った山頂で、そこを今は鳥居場と呼んでいますが、そこに大鳥居は有ったのです。
(大字諏訪形字奥別当)
生島足島神社の夏至の日昇の線、左は東山

谷の先にある諏訪形側の山頂