無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

水曜日, 11月 25, 2015

イネの発芽(2)

寄り道シリーズ。

イネが発芽モードになると、胚芽が膨らみ始めます。

膨らみ始まる条件は、タネの温度が9℃を越えること。
水が供給されること、当然ながら酸素が有ること。地中に在っても水が供給されれば、水中の溶存酸素によって酸素が供給されます。

この条件下では、白米すなわち胚乳部では、加水分解酵素が胚乳に溶け込み、デンプンを加水分解してブドウ糖に変えていきます。

発芽モードになると、GABAが増量すること云われています。GABAとは、ガンマー・アミノ・酪酸γ(gamma)-aminobutyric acidの頭文字で、タンパク質が加水分解する時に出る匂いで、哺乳動物の生殖に関する臭いでもあります。

エロティックでもあり、臭いか匂いか好みの分かれるところです。

一説にはネズミなどが嫌う臭いで、タネ自身が身を守るために出しているという説があったり、そうした臭いだからその時の状態のタネは毒がある。みたいな説が囁かれているようですが、如何でしょう。

ワタシは、ネズミが嫌うのは哺乳肉食動物の臭いなので、ネズミが寄り付かない説を主張します。
ちなみに、苗箱の芽が3cmを越えるあたりから匂いがなくなるのか、ねずみが巣を作るために、夜な夜に侵入を試みるようになります。
従って、タネがネズミを避ける説には、信ぴょう性は高くありません。

何故そんな香りがするかといえば、「デンプンが加水分解してアミノ酸になる」=(物質が生命活動を開始する)球状タンパク質である酵素が活動を始めた証だと考えています。

すなわち、哺乳類の始まりの部分に酵素が関わっていて、それが穀物の発芽過程と同じ動作をしていることを、暗示しているのだと考えています。
このことは、もう少し先のイベントにて、お話しましょう。

そんなわけで、イネの催芽時には、妙なる香りがするのです。

イネの発芽過程は、日本酒の酒母いわゆる酛(酒に元)つくりの過程とおんなじ化学変化を起こしますので、百姓を細部まで紐解いてゆくとその先に日本酒造りが見えてもくるのです。

玄米でお酒を作りますと、この香りが薫りとなった酒が楽しめることになり、ワタシはまだ、玄米の酒は嗜んでおりませんが、何時かこの手で実現してみたいと夢を描いています。

月曜日, 11月 23, 2015

イネの発芽

発芽の準備には、1ヶ月間冷水に浸します。
この作業は、たっぷり水に浸けることにより、タネに水を供給することと同時に、自然界の低温を体験させて自然の力を引き出すきっかけ作りとして重要です。
ワタシは、3月からですので、まだ雪解け水なので2℃から始めます。5℃以上に上げますと、発芽が始まってしまうことがあり、今度はこちらが慌てますので、その温度を保ちます。

通常の皆さんの場合は、浸種は12℃から始めるようなので、突然のスタートとなって、タネもびっくりしているううちに春になって、慌てての発芽になっているような気がします。

そのあと、水温を20℃から25℃に上げると、催芽という工程に移ります。
催芽は積算温度120度日とか90度日と云われています。品種やタネの比重によって違うようでもあります。
ワタシは、7度引いて、積算90度日目安ではないかなと、思っています。
一日中同じ温度にして、20℃なら、90÷(20-7)=7日、90÷(25-7)=5日くらいの目安です。
発芽の状態が、鳩胸を少し過ぎたくらいで、洗濯機の脱水槽にかけて、少し広げてお天道さんに当ててからタネを苗箱に蒔きます。
お米が「デンプン」でできている理由は、発芽の栄養を供給するため、”消化酵素”の働きでデンプンを「ブドウ糖」に変えて、胚芽に送るためです。

胚芽では、ブドウ糖を原料にして、”転移酵素”が「生きたセルロース」を作ります。コレが芽です。

このあと、青い葉っぱに陽が当たると、”光合成”によって「ブドウ糖」が作られて、ブドウ糖を原料にして、”転移酵素”が「生きたセルロース」を作り、葉や幹になって成長を続けます。

成長のプロセスは、タネの時もその後の成長時も、違わないと考えますと、植物の成長因子は、「ブドウ糖」。すなわち、ブドウ糖は「主原料」であって不可欠なもの。

光合成においては、水と炭酸ガスによって「主原料」が作り出され、タネにおいてはデンプンが主原料となるので、植物の成長にはそれに要する肥料はいらないことになる。

山で大木が成長したり、石炭層になるくらいの大量の古世代の植生が誕生した理由が、そこに有ることになります。

つまり、肥料はどうも違った用途に使われるらしい。

「成長因子」の次なる役者は、”転移酵素”、ブドウ糖を「生きた」セルロースに変える仕事をしている酵素。
その前にデンプンをブドウ糖に変えてる”消化酵素”。
「酵素」の存在を見逃してはなりません。

植物は脳みそがないので、変化を「コントロール出来得ない」のではないか?と考えています。
その役目を担っているのが「酵素」で、酵素の働きはきちんと解明されておらず、社会一般でもよくわかっていないようです。

「酵素の働き」を理解できないまでも、稲作に「酵素の存在」を認めるだけで、古代史を紐解くことができました。

地球規模では、哺乳類は酵素によって誕生した新種で、今の植生もまた酵素によって繁植していて、等々、酵素の働きを解明することが、人の健康にとっても重要な因子だと感じています。


ワタシには解明はできないまでも、しばらくは酵素による空論を語って、酵素の重要さを探ってみようと考えています。

土曜日, 11月 21, 2015

古典(3)律令時代

畑の字には二通りあり、田んぼに火を掛けたから畑、田んぼが乾くと白く見えるようになるので、水の無くなった圃場は畠、つまり、畠と田んぼという字ができた当初、田には常に水が張ってあった証拠になります。

秋の稔りでも田んぼに水が張ってあった幾つかの証拠は、秋津島とは日本列島のこと、津が田んぼであるとすれば、秋にも水が張ってあるイベントは、越の民が日本に来てからの習慣。
瑞穂の国(みずほ)=水穂であり、稔りの時期に田んぼには水が有ったことが伺えます。

開墾して律を行って田んぼを作り、森林灌木を枯らすために、通年湛水はそのための知恵だったのでしょう。多分、母国では行っていなかったのかもしれませんね。

越を逃れてきた兵隊と国王、一緒に逃げる必要の有った兵隊は近衛兵のみ、戦える兵隊は漢の王も採用可能なので、見知らぬ土地に逃げることはなかったでしょう。三国志でも戦える兵はそのような扱いです。

近衛師団がそれぞれの浜に上陸して、河口の開墾を終えると、師団長は集落の長として、今度は稲作に精を出し国家を形成する礎を築きます。

子が育った時に、子らはもう一つ上流に氾濫原を探し、屯田兵として、そこを開墾するようになりました。
下の集落の民は、田んぼの賃料として、租税としてイネを束ねて差し出す、租庸調の租税である。庸とは将に開墾の律に出ること、調は副食、これらを親の兵が差し出し、子の傭兵たちが開墾を進め、租庸調なその一連の費用分担のことである。

従って、新しく庄田ができたなら、その田の所有権は、発令者すなわち天子様、天皇家であったのでしょう。
その庄田を任せられたのが、「権兵衛」さんは百姓の長にして、大蔵任官であり防衛任官である近衛兵なので、後年でも庄屋様は権兵衛だったり太郎兵衛と称したのです。

コレが律令時代の幕開けで、インカ帝国と同じ、帝国主義的、原始資本主義の仕組みであると考えています。


わたしが生まれた集落には、大川から堰で二本の水路が開削され、その用水路に接した田んぼは、全て四角形の田んぼ、二つの水路から離れている田んぼは、等高線に沿って湾曲した畦で囲まれた不正形の棚田です。

当初、堰と用水が掘られて、兵によって条理の田んぼが作られ、供用された後年に、各人が技術を活かして、個人用の棚田を作ったのでしょう。

律令時代に信濃望月の駒を、京都まで運ぶルート上にある、東山道の裏街道の集落であったようです。
村の名は「入村」(イリムラ)一番奥の集落の名が巣栗(スグリ)村長の居た名残、村主をスグリと読む通り。
その下の部落は築地原、駒を一時囲っておいた場所、土手を築きその上に柵を結って牧場とした名残。峠の入り口に大布施、いわゆる宿場町のことです。

信濃川を遡ること標高900m高地にまで、平安時代の前に開墾が為された。
その技量と国事を執り行う熟練の業は、越の国王が兵を伴ってきた所以、と考えないかぎり、急激な国家の形成は難しかったと思います。

そして時代は流れて、戦国時代に於いて、国盗り物語においても、新しい領主になった者が、滞り無く年貢を徴収せしめ、それぞれが国力を保てた所以は、天皇家の年貢租庸調の代理徴収権を競ったのみ。

もし、田んぼがそれぞれの民が勝手に切り開いたものだったら、新しい領主は暴力に訴えない限り税の徴収はできず、いわば暴力団のみかじめ料のような取り立てになるはずで、闘う能力と同時に算術や好かれる能力など試されるべきなのです。
戦国の記録を読んでも、税の徴収に苦労しているフシが見当たらず、上洛して挨拶の記述等から、租庸調の徴収代理者を競ったように思います。

そのようになっていたならば、弥生から律令時代までの、稲作の方式は冬期湛水・深水。不耕起栽培であったと結論付けることが可能です。
田植えを行っていたかどうか?については、もう少し実験を重ねて、面白い結論を導こうと企んでいます。

日本のコメの歴史(2)弥生時代

縄文期には、肉を火で煮炊きする文化であったことが、結果として酵素を失活させて摂る食生活であること、に傾いたり、どんぐりなどを煮てアク抜きしてから捏ねて焼く、これも酵素の失活につながることなどから、長命であることが難しかったと思われます。

皆が短命だと、一子相伝という文化は根付かず、集団に依る子育てや文化の伝承方式になる。コレが結果として権力者を生む事ができす、戦わない民族が形成されたのだろう。

その、小さな平和な集落文化は1万年も続いていたことは、千年に一度の津波被害などから、集落は自然と浜から少し高まった丘に形成されたであろうことが、改めて今になって理解できる。

そこに越の軍人たちが穀物を持って、上陸してきた。学問的には漁撈稲作農民と分類される。
当初は浜に住まいが設営される。兵隊が居住する浦として、浜の字はマトを得ているではありませんか。

兵隊は、魚や海藻を食料として、河口を遡り、扇状地の元の谷口にたどり着き、そこを堰き止めて水路を開削して、流れを横に導き一定間隔に水門を付けて、縦方向に水を流す工事を始める。

北海道でもそうであったように、軍隊の行う仕事は縦横直角の条理に成るのは、2千年の時を挟んでも、そうした規律が身についていたのでしょう。

縦の水路に対して、一定間隔に土手なり石垣を築き、水を貯めれば田んぼの形ができる。
まずそこに火をかけると、畑になる。火事の後の木は再び芽を出すことが難しく、年間通して湛水されると、やがて大木でも朽ちていき、水田全面に陽が射すようになったのでしょう。

イネやヒエは、枯れ木の木陰でも育てることは出来、鉄や青銅のクワなど期待できない古代において、身体を農機具として開梱する事ができるのは水田であり、時間を掛けて平らな田んぼにすることも可能であったと思われます。

全国=津々浦々と書きますが、浦は港や浜でも津も港ならおかしい。津は田んぼ、筆・律・庸と似た書体、縦の水路に横の畦を付けること、すなわち田んぼを作ることは律。田んぼの統計をとって一枚一枚を登録することを、竹簡に書いて綴っておくことを検地、検地台帳は竹簡製、で筆。今も昔もたんぼ1枚のことを一筆といいます。
そんなこともあって、水張った田んぼ群を津。谷間に田んぼがある地域を、谷津などと呼びます。

田んぼが出来て、水が張られてイネの種がまかれる。ヒエも一緒に撒かれたことと思われる。
なんの種がそこに適すか?深水の部分ではイネが、浅水のところではヒエが育ちます。
湿田は分げつを止めることもあれば、中水のままですと分げつは進みます。
浅水ではヒエの勢いが強く、ヒエは早く稔りますので、早く食べることが出来ます。

取り入れは、田下駄をはいて稔ったところから順次、手で摘み取って革袋や竹カゴに入れて、持ち帰り、また稔りが進んで穂が色づいたところから摘むようにすれば、雪が降るまで穀物は収穫できます。

季節のある所では、最後に種が水中に落ち、冬を越して春になり、年越した株から新芽が出て、田植えなしでもイネが育つところ、株が年越できずに種の発芽を以って新芽となる処、様々。

タネは、普通根が先に伸びて芽が後になるが、水中でのイネの発芽は、根はちょこっと膨らむだけで、芽が先に伸び上がり、葉が空気に触れた途端に根が伸びて、着根する仕組みで、深水では、種の出来が影響し、小さな実の種は発芽に応じて浮力が付いて、ヒエなどは浮かんでしまい、着根できないので、大きくしっかり稔った種が、浮かぶこと無く自然によって、品種が選ばれて残っていきます。

冬期湛水深水管理が、イネのタネを育ててくれた条件だと考えています。

縄文後期から弥生時代は、そんな自然と一緒の稲作ではなかっただろうか。

越の倭人は弥生の集落の若者を迎えて結婚して子を設け、田んぼが落ち着いた処から弥生の津の集落が始まったのではないでようか。

越の倭人と書きましたが、倭とはイネ(禾)を作る戦わない(女)人という意味で、朝鮮半島に先史時代に水の補給に来た人を倭人との記録もあり、ワタシは、「戦わないイネをつくるヒト」という「倭」論が好きです。

ちょうど、インカ帝国がそうだったように、土木技術イネの栽培技術を教える長のもとに集落が形成されていったのだと思います。


木曜日, 11月 19, 2015

酵素について

酵素について、少し違った物言いのサイトがあった。疑問を呈したが、他人様のサイトで物議をかもしたくないので、削除して、代わりに自分の所で語っておくことにします。

動物も植物も、生命活動をしている結果、生物に分類されています。

動植物の特徴のひとつは、成長すること。だと思います。
「成長する。」ということは、新しく生命細胞が育っている。

生命活動をしていない基質の必要種類と量とが供給されて、新しい芽というか組織が作られ、そこに生命の息吹が吹きこまれて、先端が成長するのです。

ソレを司どっているのが酵素であるとしたのが酵素論。何かが出来た=何かをしたというラテン語で、ase アーゼと発音します。

 生命基質は新しく誕生していない。という論がありパスツールが実験して唱たそうです。
動物はさておき、植物には、酵素を創りだしたり、生命を生み出したりする、高等生物ではないと考えています。

動物と植物の大きな違いは、脳みそがあること。
ヒトだけでなくアリやハチにも脳みそがある区別の要因は、植物などを食べてタンパク質を作り出してる。用語の高等生物とは違った意味で、高等な仕事ができるのが動物で、小脳で臓器をコントロールしてる結果、血液などを創りだして血肉にしていく。

植物には、そんな芸当は無理なので、せめて光合成などの変化に留まっていて、酵素や生命基は使い回しなのではないかと考えているのです。

酵素の温度特性や必要としている栄養素などから推定するに、酵素の活性帯は、9℃から63℃辺りが活動温度、ソレ以下やそれ以上では、失活や休眠になると考えています。

酵素ははじめは、海水中で誕生したか、宇宙から隕石に載って到達したかのどちらかのようで、いずれにしろ海の成分に似た環境で、活性を示します。

水があること、適温であること、海の成分に似たミネラルを好むこと。が知られています。

温度を下げていくと、休眠してしまうようで、9℃付近以下では休眠の側に、なんで9℃かというと、放射冷却に依る温度下降で零度になるのに、自然界では数時間掛かり、その間に、氷に潰されないような防御をする準備時間が必要で、その時間を稼ぐ温度として、9度くらいの幅をもたせている。

と考えていて、そのことから、酵素が地球環境原始であるという、ひとつの根拠だと考えています。

高温域では、乾燥が先んじれば、コレまたカプセル化して保存に耐えるのです。
麦芽モルツの作り方に、その理論の正当性があって、発芽を終えた麦を止めるのに、石室にて炒ることで保存用の麦芽酵素を作ります。一説には80℃が白ビール、120℃で黒ビールになるのだそうな。
乾燥させて保管して、水で戻してモルトを作る。ビールとウィスキーがそうしたことをしているようです。

草を刈り乾燥させて堆肥にする。酵素の再利用というか、生命の循環であると考えています。

穀物もまた同じ原理で、乾燥により休眠させた酵素を、炊飯することで戻して活性化せて、食事に摂ることが出来ます。
不思議な事に、上から来た酵素活性は、63℃を越える高温域でも活性を保ち、ワタシは酵素玄米食を行っていますが、その保温の温度は72℃です。

酵素活性の食事が有効な証拠は、絶食を続けていて3日目、酵素玄米食の食事をすると、30分から1時間以内に、催してきます。

玄米の効能が繊維質だとすると、ソレが大腸に到達して催すまでに、かなりの時間差が必要なはずですが、1時間で到達する成分は何だろうか?と考えるに、酵素であると目星をつけている次第です。
正否のほどは不明ですが、効能は感じています。

またワタシは、酵素を活性化させて飲食することで、健康を維持しようと企てていて、漢方の処方と同じ、草木を乾燥させて煎じて飲む処方。スギナを乾燥させて煎じた茶、シモン芋の茎と葉を乾燥させて煎じて飲む茶、柿の葉、もぐさなどなど、自然界で旺盛な繁殖力を誇る、元気な草を煎じて飲むことで、若返ろうとしていて、確実に元気をモノにしています。

自然のままを保った土の田んぼや畠の栽培により、病気を防ぎ無農薬栽培を可能にしている根源は、酵素理論であり、路地のトマトやキューリも、霜が降りるまで元気で実をつけてる、植生がその理論によって再現性を語っています。

酵素は球状タンパク質ではありますが、「タンパク質を摂れば酵素ができる」考えには与しません。

酵素は植物・動物使い回しであることを、原則に行き方を組み立てていますが、今のところその原理で、野菜の成長も説明がつきます。

ワタシの食事も、生きた酵素は生野菜から、穀物の酵素は再活性を即して等々で、元気な野菜、元気なワタシによって実践して、証明に変えている次第です。

土曜日, 11月 14, 2015

健康も病も、疾患となる前に、元気でいること

元気なうちに「もっと健康にと」心がければ、名医を探す苦労も医療費に悩まされる苦労も必要ない。

自然に生きる。ベシ 太古の昔から、人類は絶えることなく、大自然に順応した者が生き残ってきた。
進化したわけではなく、「順応する相手が大自然だった」ということなのである。
元気になる・健康を維持するためには、「大自然の環境を自分の周りに作り出すこと」これが重要なことです。

生命活動の最小単位は、「細胞を生き続けさせる」酵素の働きです。
酵素の働きを阻害する要因は、非適温度と酵素阻害剤なる自然界に無かった化学物質です。

「自然界にない化学物質」これが健康をむしばみ、病気を引き起こす最大の”要因”なのです。

科学的には、生命活動を司る酵素の活性を阻害するのは、タンパク質の官能基と結合性を持つ無機物質、CH2・CH3・OHなどの官能基をもつ石油系の化合物。こいつが犯人で、タンパク質と硬い結合をすると、タンパク質は異なった物質になることになり、生命活動が絶たれてしまい死に至ります。

この残骸を餌に、ウィルスやカビ菌が繁殖したり、それらを取り込まないようにした集合体が、ポリープだったりします。ちょうど棘を刺した魚の目のようなものでしょうか。

おひめさまは、特に、細かい仕様の外敵に神経質になる必要があります。
超自然によって、酵素は活性化して、ヒトも植物も、本来あるべき活動を為して、いのちを育みます。

いのちを育む食材を育て、活性化を図った状態で食べることが、元気になる第一歩だと思います。

田畑に化学物質を呼び込まない。種に化学物質を触らせない。掛ける水にも吹く風にも気を回す。

育てた自然の野菜やお米を、酵素が活性化する状態で収穫し加工する。
酵素は乾燥により休眠して保存に耐えますので、穀物を干す行為は理にかなっています。
生の野菜は生のまま食べるように、煮炊きする前には、一旦乾燥させた状態で保存して水に戻して煮炊きをすると、酵素が活性化した状態で食べることが出来ます。

人類の発展は、穀物は全てその工程を踏んだおかげ。
魚の干物、干したしいたけ、イベリコ豚の生ハムなどが、すぐれもの。
刺し身、レアステーキは、生のタンパク質。

お味噌などの発酵食品、酒は「百薬の長」酵素の塊だが、日本の店舗に並べる都合で、酵素が殺された味だけのソレが市場を席巻してしまいました。
「悪貨は良貨を駆逐する」どれが良いのか悪いのか、分からなくなったというより、全部悪貨に駆逐されてしまったみたい。

この市場は、手前味噌のように自分で造るより他、手がないような気がしますが、諦めないで挑戦していこうと思います。 とまれ、玄米は、自然の田んぼのコメを、発芽酵素玄米炊きにして。 玄米の果皮は、田んぼの土と水の凝縮なので、自然田・原流水が原則です。

源流付近の田んぼは、1㎡あたり千円足らずで手に入ります。生きながらえることに、執念を燃やしましょう。
主食を改めれば、健康で長生きできます。
自分が育てた豆で手前味噌をつくって、味噌汁とダイコン漬けを添えれば、古来よりそれだけでもう十分。

何が贅沢で、何が貧しいか?お金か、自由か。
いまの日本では、まだ、全てが自由に選べます。

飛ぶことができるのは、日本人だけかも知れません。

化学肥料による残留窒素酸化物

前説に展開した化学肥料の残留について、

農の現場における、科学肥料と農薬・除草剤または殺虫剤の割合について、通常300坪を一反歩と呼ぶ約1000㎡における散布量は、化学肥料100として、農薬その他の配分は、大きく見積もっても順に100:1:1:0.1程度であろう。つまり、農薬の100倍ほどが使われている。

農薬が残留することが報告されているので、もし残留するほどの使用量が疑われるとすると、先ほどの比で例えれば、農薬が10とか100の単位になることが想定できる。

つまり、化学肥料のように、20kgの袋で何袋も撒くそのことが、残留する原因を作り出してるいることが容易に想定できる。

また、繰り返しになるが、使わずに育てると半分から2割程度の収量になる。
言い換えれば、穀物の何%かは、科学物質が姿を変えて、残存している事になる。

「窒素肥料」という言葉や窒素量00%という言葉が証明する通り、そのうちの一部が、NOxすなわち窒素酸化物で構成されることになる。

しかし、窒素酸化物は必ずしも毒の物質ではないようだ。二日酔いが済めば元気な身体が戻ってくるので、一過性の物なのでしょう。
不運なことに、アルコールと一緒に摂取するシーンが多いために、酒を呑むと二日酔いが演出されるだけのことなのです。

逆説的に、二日酔いのしない酒を造るためには、化学肥料を使わない米つくりや葡萄の栽培を心がけることで、実現できる事になります。

「無農薬」ではなく「化学肥料を使わない」事のほうが、面白い結果が得られるのです。

ビンテージワインの世界では、化学物質を含んだワインを寝かしても、いつの間にか酒が変質して熟成すること無く、腐っていくことになり、ヨーロッパのシャトーでは、そのことを身を持って体験できる。
すなわち、化学肥料を使ったりトラクターで起こしたシャトーでは、ビンテージワインに価値を見出すことができず、お父さんやお爺さんのワインの名を汚すことになって、潰れてしまった。

100年単位で在庫が置いてあるシャトーの悲劇であり、生き残ったところでは大きな財産になっていて、少なくともワインを少しかじれば、そんなことは至極アタリマエのことなのです。

しかし、ソレが日本酒であると、不思議な事に誰も気づかない。正確には、誰も気づかなかったのです。

木曜日, 11月 12, 2015

二日酔いのメカニズム

二日酔いになる原因を究明しました。
私の身体で試した仮説です。

二日酔いの主な原因物質は、窒素酸化物です。
窒素酸化物は、血液に取り込まれると、ヘモグロビンと結合してメタヘモグロビンになるそうです。
ヘモグロビンの仕事は酸素と結合して、身体に酸素を運ぶことですが、メタヘモグロビンは酸素との結合力が弱くなり、十分な酸素を運ぶことができなくなり、脳は酸欠で頭痛を起こします。

しらふの元気な身体の肝臓は、Noxなる窒素酸化物を区別して、血液に送ることはないのですが、アルコール・アセトアルデヒドなどを無害にする仕事を肝臓に与えると、オーバーワークになって、タンパク質の親戚のNOx窒素酸化物はスルーしてしまい、浄化されずに血液に送られてしまった時に、二日酔いになります。

肝臓が目いっぱいの時に、肝臓に負担の掛かる異物を胃に送り込むと、健康な体の場合に「食べるな!」というサインとして、あげる所謂戻す行為をしようとし、あげっぽくなります。
「異物は今ダメ!」という健康の証です。

このことは、化学物質過敏症の私が、ジーゼルエンジンやガソリン・オイルの臭いにやられた時に、あげっぽくなったり食事が摂れなくなりますが、NOx窒素酸化物の仕業であることを突き止めてから、回避行動が取れるようにまって、かなりダメージの回数が減っています。

では窒素酸化物は何処に含まれているか?

お米を育てるにあたり、化学肥料を入れると10俵どりが可能になります。入れないと上手くいって5俵、私などは全く入れないので、2表くらいになってしまいます。

化学肥料をどの位といいますと、10俵取るのに200kgとか聞きました。20・20・20の配合肥料で窒素分が200kgの20%とすると、40kgですので、10俵で600kg、半分が肥料のおかげとすると、お米の約1割は肥料で構成されている。
そのうちNOxがどの程度あるかは不明だが、かなりの量目が残留している。野菜でも苦いのは亜硝酸のせいとか云われるが、この亜硝酸の主成分がNOxなのです。

シラフの時には、害のない物質でも、飲み過ぎると肝臓がオーバーワークになって、血中に残留してしまう恐れがあります。

通常の栽培での酒米は、安いので量目を稼ぐために、化学肥料を入れるのは常識というか、食米でも当たり前なのですから、ま、当然です。


そんな風に、お酒を研究していると、見えてくるものがあります。
予防法は、ほどほどの飲酒がお答えですが、画像の「自然田」では、この問題をクリヤーしております。


水曜日, 11月 11, 2015

PB プライベートラベル

新しいコンセプトのお酒を発売します。

お客様のブランドのお酒です。
ブランドとは、従来は酒蔵の側のものでしたが、それをお客様の側に移行します。
贈り物に、記念に、想い出に、
誕生日のプレゼントに、記念日に、仲間のお祝いにと、自由なデザインを使って、センスよく作ってみませんか。
画像は、日本不耕起栽培普及会@高山塾の卒業祝いです。
2枚目、右は「ホワイトラベル。お客様が自由に書き込み、全く独自のラベルにして、記念にしようかというものです。
作成の動機は、これまでののは、単にラベルを張り替えてだけのもの、中身が重要で、記念に貰って飲んだら、翌日爽やかでないと、元気が出るようでないと意味をなしません。この酒は2日酔いなしの宮下米100%です。
発売は、中丸子高橋酒店から。ご注文は、このサイトで私に。
基本、デザイン含めて、720ml6本で18,000
1本では8,000からとなります。
まずは720mlからはじめます。1升瓶は別途ご相談です。

日本人のルーツ

日本人のルーツは縄文と弥生にあり。
昨晩NHKが山内丸山遺跡の解説を行っていましたが、小さな集落が大きな塊となっていったようです。
その歴史は1万年の間続いた、人間同士の戦いのない一番長い、世界でも例のない稀有な時代を形造っていたようです。

縄文火炎土器のようなもので煮炊きをする文化を作った。
残念なことに、このことにより、酵素を生きた状態で摂取することができなくなって、寿命が縮まったことが、他の文献により、平均寿命30歳だったとか。

栗林を人為的に増やして、冬の備蓄をしたらしい。
青森などの北日本では、冬をどうやって凌ぐかが課題だったのでしょう。
秋のサケ・マスなどの大量遡上による捕獲の乾燥備蓄、栗やどんぐりの乾燥備蓄が、集団化を促進したのだと思います。

多分、その乾燥施設と備蓄庫が、山内丸山遺跡の代表する6本の丸太穴。あれは見張り台ではなく、乾燥の塔と、積雪のため高い所にネズミ返しの付いた備蓄庫であったのではないでしょうか。
柱に漆を塗っていたのかもしれません。もう一度発掘して漆が発見されれば、この説が近いと思われます。

千年に一度の津波から逃れるためにも、浜から少し遠方のこの位置が選ばれたのでしょう。
冬の厳しさと海山の豊かさが、育んでくれた北の大地の文明だと思います。

さて、中央にある10mx30mの大きな家は何か?
各戸は夫婦の家だったと思います。多分主は女系家族。
夫婦となった者のうち、命を落とす確率の高いのは、外で狩りをする男であり、備蓄と煮炊きを司るのは女であると、主は冬のいのちを司る女になります。

男が先に死ぬと、子供は公共の施設に託され、公共の施設で育った選ばれた男が、夫になって新しい夫婦が誕生します。

妻が先になくなると、適齢期の娘が居ないとその家は途切れ、男と子は公共の施設に移り、そこでは共同の生活が営まれ、土器や乾燥技術の文化がつながれることで、短寿命の親子の相伝ではなく、公共の兄弟の総伝に依る醸成がされたのではないだろうか。

運良く夫婦が健在で、女のこが成長した時には家を継ぐことで、その継続が長い家の格は高まり発言権も増す。そのようなことで、戦のひつようのない平和な時が続いたのではないか。

南日本であっても、そうした緩やかな文化が育まれていた。
一方、稲作文化を持った民族は、穀物を乾燥させて煮炊きする食文化によって、酵素を活性化させて食べられる技術を持っていたため、天寿が全うでき長命である。

(後の弥生時代から平均年齢が高くなると同時に人口も爆発的に増えるのだが。)

そこに、越国から逃れてきた、漁撈稲作文化を持った兵士軍団がやってきた。
高度な文化と長命の寿命の民、また運良くその人達は倭人(すなわちイネを作る戦わないヒト)であった。

双方がヒトとヒトの戦いを好まない民族だった。倭人は男の集団、一方縄文集落には、女が圧倒的に多い環境。和合が形造られたことは納得がいく。

そのようにして、集落の中央で文化を持っていた女達が、嫁いでいって弥生式土器を作り、家庭を作ったことにより、新しい平和がもたらされ、津々浦々に田んぼが整えられたと考えられます。

今日は弥生の入り口まで。

火曜日, 11月 03, 2015

進化論:一代では進化しないが、知能は進化できる

進化論は科学だが、私達はそれを経験することはできない。
私達が実際に経験することができるのは、環境への対応ではなく、環境の選択になる。

生きるものが環境に対応できていると、生きながらえて子孫を残す行為を行うことができる。
環境に耐えられないものは、死ぬか病気になって、子孫を残す行為を行うことができずに終わる。
結果的に、環境に馴染んだ種の子孫が誕生して生き残っていく。

つまり、幾代かの継続を経て、はじめて進化論が成立するのである。

ヒトの一生のスパンでは、進化は期待できず、環境に耐える者は生き残れるが、耐えられない弱い性質の者は、短い生涯を余儀なくされるのです。

いっぽう、人体ではできなかった対応も、精神の部分では変わることができるので、環境に対応して進化することが可能です。
体に悪い環境を遠ざけたり、からだに悪い環境から遠ざかることで、対応することができます。

昆虫などは、長い種の歴史の中で、カマキリの卵を産み付ける高さを、積雪高さより少し上に産み付け得れた種が淘汰されずに残っることを見て、人は今年の積雪を予測できます。

山火事の際に、火の臭い焦げた臭いを嫌ったものが生き残り、鈍感な種は焼け死んで、結果的に昆虫や野生動物は、炭の臭いから遠ざかるので、炭や木酢酢が防虫剤として使われるようになります。

動物は悪い環境から遠ざかることで生き延びてきたのですが、環境を遠ざける事ができるのは、ヒトだけに許された対応です。
身体に悪い食物は食べない、身体に悪い臭いの近くに行かない。

澄んだ空気や、化学物質のない自然の環境で野菜やコメを作って、からだに良い方法で調理して、少なく食べる。

からだを動かし、いつもお腹を空かして、内側から身体に良い環境を整える。

月曜日, 11月 02, 2015

農薬は毒ではないか?

『農薬は毒ではない』と、私は斜めから思っています。
基本的に薬だから。
農協も東大の教授も言ってることだし。
1000倍とか2000倍に薄めて散布するだけでから、お米一粒あたりだったらもう計算出来ないくらい薄まってる。

だから、「大した量ではない」と考えています。

輸入ワインの酸化防止剤も毒ではない。ただ、悪酔いするだけです。
ほんのちょっと、一滴二滴入ってるだけですよね。二日酔いなんて汗かいてれば治ります。

「塩素」に至っては、日本では水道水に入れることが義務つけられています。

しかも、その塩素の効能はスゴイ。ほんのちょっぴ入ってるだけで、大概の病原菌は死滅してしまうし繁殖できない。
だから、日本では塩素消毒してない水道水は配給禁止なのです。

逆から見ると、病原菌にしてみると、塩素は怖い、ほんのちょっとの量で死滅させられる。

病原菌はかなりの弱虫。

思い起こせば、農薬散布時もかなり薄まってる。
弱酸性だったり弱アルカリの水溶液で、ほとんどの疫病はコロリといっちゃう。

そんな、病原菌に対して、人間の内臓とかの菌や酵素はどうなんだろうか?
かなり抵抗力はあるのだろうか?

疫病には強い、希薄液を食べたり飲んだりして、大丈夫なんだろうか?
大丈夫だから、3000年もお薬無しで、子孫を残して来たんだ。

でも、その昔、今みたいなお薬、有ったんだろうか?

あれ、なんか変だな。

冗談はさておき、農薬は病害の菌やウィルスを殺すために、やむなく撒く少量の毒だと考えています。

でも農薬では病気を治すのではない。消毒、すなわち病原菌を殺してる希釈された少量の毒が、農薬です。


問題は、農薬を必要とする環境。つまり、そのままの状態だと病気やカビがはびこってしまう田圃や畑の状態にあるのだと、私は思います。

ナゼ、自然の状態だと病気にならないで子孫を継続してこれたものが、近代だと突然病気になってしまうのか?

1. 化学肥料が大量に投入されている恐れがある。

20・20・20という配合肥料、窒素が20%リンカリそれぞれ20%、残りは不純物40%要らない化学物質なのです。
窒素は窒素酸化物の状態で存在したりして、PもKも本当は不要な成分。
ならば、殆どが不要物。

量で言うと、1000㎡あたり、除草剤が1kgとすると、化学肥料は100kg位、半分としても50倍の量が入ってる。若し農薬に害があるとすれば、50倍の化学物質は如何なものか。

窒素はアンモニアの状態で入ってると、揮発するので虫が寄ってきて、それを嫌って農民は殺虫剤を撒く。いくら撒いても1kg程度だろう。

結果1000㎡あたり、肥料100kg入ってるとすれば、困った化学物質が50kg入ってることになる。コレが酵素阻害剤。

そのせいで、酵素が死に、成長が阻害される。酵素の死骸にウィルスやカビが生える。それを農民は病気と判断し、消毒をする。

だいたいの篤農家は、きちんと肥料計算して、症状が出る前に予防で、農薬を定期的に散布する。故に病気は発見されずに篤農家。病気は未然に予防して綺麗な野菜を作ってる。

農協の指導が行き届いているところが産地。集団の品質管理手法が徹底してる物が市場に出て、お店に並ぶのです。

2. 農薬があると密集して作れる。

病気を予防できると、生産性つまり反収、1000㎡あたりの収量、すなわち利益率を欲するようになる。
当然のことであり徐々に適量を割り出し密集栽培になるが、そこは防除という神の手があるので、成功する。

そのようにして、農家は生き抜いて行くのです。

Handicapped free 不自由な自由

完全な自由はないが、不自由に甘んじれば、自由は手に入る。
このままでは、完全な不自由に捉えられそうな、怖い予感がします。
そこでまだ自由が手に入るうちに、自分のものにしておかなくては、そういう努力を始めたいと思います。

今日は、一日土地家屋調査士会の支部長会にて拘束されました。日当は交通費も含めて1万円弱。ガソリン代と高速代自動車の償却を考慮すれば、むしろ赤字。でも、この団体には税金が掛からず、全国合わせれば20億という会費を集めて、事務局員を大勢雇ってる。これは参考になりました。

会員制の農場を始めようと思います。

この農場の利点を次のように定め、それに沿った実現を目指します。
1 自然農業や健康が学べて、食の改善を図れば健康が手に入る。 2 自分が納得できる安全な方法で、自分が作りたい穀物や野菜を作れる。
3 TPPにより汚染された農産物が市場に出てくるが、自分が働くことで安全な食料を手にできる。
4 化学肥料・農薬など購入する資材をなくせば、消費税や物価の変動の影響を最小限にできる。 
5 委員として運営に携わると、都会での生活は変えずに、仲間と土に親しむ生活ができる。

現在、自由になる農地は、約5ha、そこで米を作った場合、250人分の1年間のお米が作れます。
全部米ではなく一部の畑で、大豆を作って味噌や醤油を、トマトやじゃがいも、大根を作って収穫することもできます。
空き家もありますので、クラブハウスに改造したり、荒れ地を開墾することも、花を植えて公園のサイズも自由に、イングリッシュガーデンを作ることも、自分でするつもりになれば自由にできます。
不自由なことは、他人にやらせることができないこと、お天道さん任せの農作業。

自給自足のススメ

家族の食べる食料は自分たちで作る。

条件は、
長野県上田市武石上本入の自然農場で、仲間を募って農場経営をはじめる。
自分たちで作る作物を決め、作付をして時々訪ね、収穫をして仲間に送り届ける。
クラブハウスつくりも含めて、自分たちのコミュニティつくりを、壱からつくる。
このクラブの運営を模索して、自ら育む。
必要な畑や田んぼの整備や毎日の水管理は、提供者が行います。

利点は、
安心の食料を自分の到達レベルで手に入れることができる。
消費税がかからない。
これまで、誰もやったことがない事業なので、挑戦する意義がある。
毎回、自然栽培の勉強ができる。
植物が自然に育つ理論が解ると、ヒトも元気に生きる秘訣が判り、元気で長生きできる。
健康の秘訣を知らずして、病で早逝したはずの「20年余りの人生」を手に入れることができる。

欠点は、コメつくり・野菜つくりは決して上手くはできないが、「来年こそは上手くやりたい」という、「1年先を生きる明確な目標」を持つ人生は、これまでになかった感覚を味わえます。

多分、若かった時よりも元気で、活き活きとした人生を送ることができます。

精神的な元気ではなく、身体が元気になる秘訣は、酵素の直接摂取です。
1日2食の昼と夜の無農薬の酵素玄米食は、疲れ知らずの身体を作ります。
朝食には、無農薬生野菜のジュース、繁殖力旺盛な野草を干した薬草茶などで、便通は驚くほど軽快になり、痔の悩みはなくなります。
動的能力を含めて、20歳は若返るような気がします。
体の線は30歳代位に戻り、皮膚や内臓の若返りも期待できます。

この秘訣は、田んぼや畑から、化学肥料・除草剤・農薬・殺虫剤・抗生物質などの化学物質を取り除いて、酵素活性化を促進させた野菜やコメを食べることなので、それを信じ自分の目で確かめるには、自分で栽培することが一番確実で、安心を手に入れる方法です。