無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

火曜日, 1月 31, 2017

コンビニエンス亡国論

最近、コンビニを訪ねていないので、不明なのですが、

書籍のコーナーで、その企業の品格を疑っています。

皆様のお宅や企業の玄関先に、エロ本が陳列されてるお方はいらっしゃるでしょうか?

お客様がお使いになるトイレや待合室に、エロ本のラックがある公共施設はございますでしょうか?

本屋さんには、エロ本が売られているのでしょうか?私には理解ができないのです。

にほん旅行のガイジンさんも、ご利用なさると思うのですが、全てのニホンジンがそんなご趣味をお持ちであるように思われるのもまた、私にとっては心外でございます。


件の企業では、当たり前のように、よく見えるところに、そのような仕掛けが施されていますので、時々トイレを借りる場合、その他の商品も同じ品格のモノと理解していますので、ワタシは買うことはしません。

申し訳ないので100円のコーヒーを求めて、使わせていただくこともありますが、最近では、なるべく避けるようにして、他のお店で用をたすようにしています。

どこの店も同じような仕掛けで、競っているように思えるのですが、どこか一社くらい、美しい上品な女性と、私のような想いの男性目当てに宗旨変えすれば、そこにはもう競争はなくなる。と考えているのですが、如何なものなのでしょうか。


ランチェスター第2法則の誤解

私は、第2法則を誤解していました。

人数の多いほうが勝つと思っていました。

そうでした、それは戦争の時だけなのです。

ビジネスや特にスポーツにまつわる場合には、人員は同じ数であることがほとんど。

武器性能に拠る処になる可能性が高い。

つまり F = E x A二乗 なのだ。

戦闘力は 戦闘性能 x 選手の二乗

A0 - At = E( B02 - Bt2 )

所詮、第一法則で戦うことになります。だって殺し合わないので兵員数に変化がないのです。

この式は成り立たず、下記の式になります。
F = E x B二乗

グローバル化の影響で E にも変化がなくなってしまいます。

では何か? 持続力が最大要因になる。B の中身だ。

その点、ニホンジンは将来に渡り、ものすごい有利になる。

特に、スポーツでは、全て金メダルは、ニッポンになるか、同じ食事をしたガイジンの頭に輝くだろう。


それは、長岡式酵素玄米食とベジタリアンだ。

FBで時々紹介されるのだが、江戸時代の庶民は凄い力持ちで持続力は半端なかった。

「100年ぶりにテニスでメダル」の意味を噛みしめれば解る。その昔のニッポンの食事は玄米食だった。

しかし、自然栽培長岡式酵素玄米でなければならない。


ワタシは、10年間自然栽培玄米食なので、よく解ります。
67歳にして、24時間位は連続して車運転しても、疲れることはありません。途中30分位2回も寝ればOKです。
白米食の若い頃には、2時間も運転すれば、もうクタクタでしたが、今は疲れの概念を忘れました。自然栽培長岡式酵素玄米食は、全く違った世界になります。

これはもう少し先ではないと、皆様に行き渡らず、かの式が成立しなくなっちゃうのです。
宮下農園で、皆様にお渡しできる自然米を生産するには、もうし暫くお待ち願うことになります。

自然栽培野菜も、おあずけです。ワタシまだ、やることいっぱいで、。


その間、どうすればよいか?

ミズノさんに、一箇所の踵、5箇所の足球、5本の指先で、加速できるシューズを開発頂いて、それで凌ぐことで可能になります。

イチローさんは当分現役で、カズさんの60歳越えてもJリーグなら大丈夫でしょう。

錦さんは念願のトロフィーを手にできますし、水泳ニッポンを見習って帽子をかぶるようになれば、長距離でも、シューズと併せて E 即ち戦闘性能を高めることが、己の努力無しで勝ちに行けることになります。

ビジネスの場面でも、戦闘性能を高めることの重要性に気づかれましたか。

戦いの人員を互角に留める戦略を立てると、勝敗は技術力・交渉力・販売力・生産力の勝負になります。

直前の記事の方々のように、交渉力を放棄すると、それはもう戦いの放棄なので、この場面に居ないだけのことです。

戦闘性能を圧倒的な力を磨き備え、持続力即ち精神力を持つ、新人類を育てる国家・勢力・企業が、明日の世界を制します。


中国と戦争したがっている方々に忠告。
ランチェスター第2法則は、正確に適応できますので、開戦すればニッポンはなくなりますので、ご注意を

月曜日, 1月 30, 2017

コロンブスの足の裏

コロンブスの卵、ニュートンのリンゴ。

判ってしまえば当たり前のことながら、気づかずに居ること。

さて、コロンブスの足の裏。
かかと、土踏まず、足球、足指の配置となっています。

身体の軸線を、まっすぐに直すコツが、NHKのアサイチでやってましたね。

直立して、爪先立ちを数回するだけで、軸線が直るのだそうな。腰痛もこれで一発解消のことでしょう。

さて、そのつま先立ちした時に、からだを支える部分を、指先と足球と呼ぶようです。

部品がわかったところで、コロンブスの足の裏のお話。

2足歩行において、片足がからだの線より前にでる時、まず、かかとを上げて足球に重心が移ります。

そして、反対の足が前に出て行くに連れ、小指と小指足球により支えられ、順次薬指、中指人差し指とモーメントが移動し、最後に親指とその足肉球で体を支え、大きく前に移動することができます。

親指から小指に従って、斜めに配置されているという理由は、ご自分でユックリ確かめてみたり、走ってみると体験できるように、掛かるモーメントと支える指と足肉球の距離に拠って、強弱がありそのように趾などが鍛えられて育ったからです。

人の足指の部品は、ひとつ欠けても思うように動けなくなるのです。

全く当たり前のことなれど、ロボット技術者が造る人型ロボットには、平らな足が付けてあるだけで、足用として踵、足球、指間の関節と動力が不足しています。

このことに気づくことが、「コロンブスの足の裏」であり、このメカを採用すればスキューロボの性能は格段に向上して、フクシマの回復も早まるのではないかと、公開をする次第です。

また、ランニングシューズにも、この思想の採用が為されれば、オリンピックの400mリレーにて、真ん中の日の丸を眺めたり、マラソンや箱根も面白くなるように思います。

自然農業の視点も、そのようにして「コロンブスの肥やし」理論を提供したり、健康面でも「コロンブスの不老長寿」を提案しているのだと、ご理解頂けますと幸いであります。

発芽のメカニズム

イネの登熟から発芽・及び成長を経て登熟へのメカニズムを説明します。

どこから先なのかは、卵と鶏の関係になりますので、種子を作る登熟過程からお勉強しましす。
今回は、化学変化のみで、アミノ基による生命関係については省略です。

登熟 
 光合成により葉で作られたブドウ糖が、種子(コメ粒)に送られて、脱水縮合酵素の働きで、整列につなぎ合わされて、デンプンになって蓄えられます。

発芽
 種が発芽するためには、適度の外気温と十分な水により潤って、蓄えられていたデンプンが加水分解酵素の働きにより、ブドウ糖に戻され、胚芽の先では、送られてきたブドウ糖が脱水縮合酵素の働きにより、互い違いにつなぎ合わされてセルロースになります。
それが、根ねであり、芽であり、茎でもあります。
芽や葉の成長
 根から水分とALA酵素をいただき、そのALA酵素の支援により、生命を得て芽や茎になります。
それもまたセルロースで、大木の材木も元はブドウ糖が繋がったセルロースです。

 材料:即ち肥料は、光合成に必要な水と炭酸ガスと光です。
光合成を支援するのは、葉緑素なので、葉が大きくなるに連れ、地下水からALA=葉緑素が供給され、それがもう一つの肥料です。

月曜日, 1月 23, 2017

植物は何故、病気にならないのか


自然界は、葉っぱは葉っぱに、幹は幹に育ち、イチョウの木にどんぐりはならない。ようになっている。
DNAの2重らせんによって、同じものができるようになっているらしい。うまく行ってるんだ。

しかし、所々に病気になって、腐ったりすることもある。特に畑の野菜は、病気になるらしい。

本来、全く同じものが創り出されるようになっているのが、自然界のルール。

山の木は、枯れたりすることはあるが、病気になった木を見たことがない。
しかし、畑の野菜は、腐ったりする。

ウィルス?だったら山の木にもそんなことが有っても良いが、それがないところを見ると、ウィルス説に分が悪い。

山と畑の違いにあると踏んで、そいつを考えるに、山の肥料はケダモノの糞尿と枯れ葉だが、里の畑には、化学肥料がたくさん。

化学肥料って意外に安い。コメリで10キロ800円位で売ってる。80円/キロの精製された化学物質って、安くね。

石油と同じ値段。ローリーで運んできてバラ売り、片や何やら効能書きした袋に入れて、バラ売りしてて、石油と同じだったら、これは儲かりませんね。

精製して200円/キロだったら納得。違いは不純物も一緒に売ってるかだと思いますね。そいつが酵素阻害剤。

酵素阻害剤とは、植物の生命活動をサポートしてるのが酵素で、その働きが阻害されると、生命細胞が死んでしまう。その死骸に悪菌が寄生して増える状態を、「腐った。」と称して、病気とも謂うのです。

自然生物は枯れるだけ、病気になるにはそんな訳があり、消毒しても、今度は悪菌を殺してくれる代わりに、微生物も殺しちゃう。

ますます複雑になって、野菜食べるヒトの意識を解らなくしちゃう。

でも、自然の植物食べてりゃ、そんな複雑なことで悩まなくても、元気で居られそう。

じゃあどうすればいいか?畑に、山の枯れ集めて入れたり、山の動物誘い込んでションベンや糞をしてもらう。

ン。 それ無理。

その代わりに、ションベン培養して撒くのよ。ワシ、撒いてるけど、それEMって謂うんだ。

だから、自然栽培に近いのよ。でも、自然じゃあないわね。いい名前浮かばないのですよ。

生命はどこから

植物、動物、生き物は皆成長するが、細胞のひとつひとつが生きている。
その生命の活力はどこから来るのか?

判っているのは、生命は突然生まれない。ということです。

私の命は、母から受け継いで、祖先、猿だった時、カピパラ、ネずみ、恐竜だった時、両生類、魚を経て、アメーバだったとき、宇宙か深海でアミノ酸が生成された時から、永々と続いていいっときも途絶えることなく、続いていることを知っています。

動物は、体内で分裂している際に、いのちを分けているかもしれない。
そうではなく、何処かから生命の元を得て成長させているのかもしれない。

だが、植物の場合はどうなのか?

ゴマやヒエの発芽を考えてみよう。あの小さな種が水に浸かって春になった時、芽が膨らんで最初に根を伸ばす。

ある程度、芽を伸ばすいのちは蓄えているらしい。

だが、もっと伸びあげる新しい命は作っているのだろうか?

種が水中にある時は、芽は伸びるが根は伸びない。すると、ある長さまで伸びるとそれ以上伸びあげることなく止まってしまい、根を土中に張った種だけが、成長を続ける事ができる。

このことを深く考えると、いのちは大地から供給されていることに気づく。

そんなところから、「武石 安全の食を考える会」の研究をはじめます。

この考察と解明をしっかり行うことから、化学肥料を使わない無農薬栽培が始まります。

金曜日, 1月 20, 2017

古事記から

上田には海はないけれど、州羽の海がある。
古事記に最初に出てくる今も通用している名、諏訪氏だが、記述は諏訪ではない州羽だ。「州羽の海に追い詰めた。」とある。
誰もが、地名だと思うだろう。だが、いにしえの時に京都から東下りの軍隊に、コタンの古老に地名を聞いただろうか?否、筆者は地形を説明していると読んだ。

諏訪の海に追い詰めなければならないが、諏訪湖には、追い詰められて逃れられない地形はない。また、洲羽ができるには激流が必要だが、諏訪湖には流れがなく、侵食のエネルギーがないので、諏訪湖を州羽の海と決めつけるには無理がある。
「州羽の海」の州とは中洲の「州」小砂利混じりの岩のこと、羽とは崩れた崖のこと、合わせて、大川によって侵食され、小砂利の岩が露出している山崖と、その川がせき止められてダム湖のようになっている場所を探す。
その次の句で、その者を其処に留めて「州羽を名乗れ」とある。 諏訪湖と諏訪氏の始まりの物語である。
歴史が証明している。
諏訪に諏訪氏が現れるのは、鎌倉時代になって突然であり、諏訪地域・伊那地域にスワ氏は見当たらず、歴史の謎になっているのです。
上田には、諏訪が2箇所あります。諏訪形と諏訪部です。 平安時代の諏訪形に須波氏なる豪族が存在していました。すわがたは、須波氏の館なのです。
問題は「州羽の海」ですが、諏訪形の隣の大字小牧地域の地形は、東北部が切り立った山になっていて、西北より千曲川の激流が寄せて、Y字に空いた南側に洲が広がっています。
軍を追い込むところとして最適な地形であり、山の端から千曲川の河床にまで、礫岩の地層が伸びていて、現代でも何段もの自然のダムが川を横断していて、古代にはその上流がダム湖即ち海だった場所であることが伺えます。
現代は新幹線の橋脚が立っている河原に降り立ってみると、そこからの眺めはまごうことなく『洲羽の海』、眼前に砂礫の岩が作る天然のダム湖、現代の六ヵ村堰の取り入れ口のダム湖、目を閉じて堤防を取り除けば、科野国分寺の庭先まで続く海が出現する。
右手に道路の路肩が迫る。擁壁を取り除けば、そこは切り立った礫岩の岩肌だったはず。見上げる山容には幾条かの「洲羽」が確かに見えているではないか。 南から上田に入った軍隊を追い詰めるのは、この場所になります。 逆に、北から上田に入るには、坂城ルートは千曲川に阻まれ戸倉辺りがその場所になりますので、合致せず、諏訪部は後の時代の呼称でしょう。 白村江での敗戦が確かになって、軍馬の威力に目覚めた勢力が、謀反を偽ってこの地にたどり着き、駐留をしたのが科野の始まり。西暦670年頃の出来事とみた。

http://simokita.org/sight/siriya/

科野の名の由来を、筆者はシにこだわってみた。師団ではないか?三国志に出師表が有名だが、師団の野とは?白村江で軍隊は馬であることを知った、ある勢力が軍馬の養成所を東の未開地に求め、上田一体をその適地と見定めたのだろう。今は師団だが当時の師は軍のこと。
小牧に駐留し、尾山を焼き払い山頂の平、尾野山須川一体を放牧場にして、馬を育てる。
堰を、小牧より取り込んで、条理を整備して、上の条(御所)中之条、下の条と整備して、米を育てたのが上田の最初で、そこが師ナ野だ。

古安曽神社は、東の峠を向いて立ててある。この方角から来たのだろう。安曽とは阿蘇、蘇を作る家、神社の作りが生島足島神社に似ている。小泉大日堂の参道は長くその方向はまごうことなく古安曽神社に至ります。

小泉大日堂は天皇家の神様、蘇は酒とか甘酒、餅、みその類、小泉大日堂の前にある橋の名が「醤油窪橋」この地一体が海成岩でできており、染み出す水は宮水のはず、酒作りの寺であることが庫裡の構造で判る。
都が奈良に在った頃、防人の必要など軍事国家として体裁を整えるため、急ぎ騎馬の手配をして、そこができた時に、師の野に遷都の必要性も感じて、科野大宮を常田に移し、遷都の地鎮のため生島足島神社を作り 阿蘇の社を小泉大日堂に移して、地鎮をなした頃、世が平和になったのでしょう。 沙汰止みの名残を惜しんで、生島様と科野大宮の間の山頂に大鳥居を立てたものでしょう。 科野大宮の石碑にある鳥居場(諏訪形の市杵島様の冬至のライン)を発掘する必要があります。

この企みは、総てが秘密裏に始められた軍事機密基地なのであり、それによって権力を維持し、この体制は江戸時代初期まで続くのだ。

師団の野、軍馬には騎手が必要、手綱を持ち馬の世話をする農夫が2名の、都合3名のセットが一騎だ。
これを百騎単位で創り出す勢力が必要で、騎手の養成所も無くてはならない、馬具も具足も武器も必要で、その人達のための穀倉地帯と官営の農民が必要になる。 騎手と武具は百済系の人々、農村部は倭人が入って来た。
コメ作りは他田氏(オサダ)、騎手は使い手を漢読みで手使い、で手塚氏、金刺氏は弓矢そのまま、鎧は矢竹を編んで作ったのだろう、細竹をすずとよびますので、「みずずかるしなの」御矢竹刈師団野という意味にとれませんか。

騎馬隊を京都に運ぶルートは、東山道ではなく武石峠を使っています。
筆者は武石小寺尾の生まれなのですが、当時寺がありましたのでその跡地という意味で古寺尾なのです。

一つ上の部落が「築地原」馬を寄せておいた築地柵ちです。その対岸は「大布施」峠下の茶屋ですが大きい必要があったのは、数百人の旅人になっているからか、そのまた対岸に巣栗(村長の朝鮮語)が残っています。

美ヶ原に立ってみると、原始林が突然始まっています。2000mの台地、この原ははじめから原野であったのではなく、火を掛けて原始林を焼いた跡、再び木が生えないような使い方をされてきたからでしょう。
牛の放牧は近代でしたが、馬の放牧は長かったと考えています。守矢氏が黒曜石を守るため、見通しを良くするために焼き払い、台地に来ることを拒んでいたと思われます。

そこを通過するルートになっている。古代の最大武器商人である守矢氏と組めば、師団野に入る関所となり、師団を守ることができます。

また、高原の放牧と高原での騎馬の訓練は、素晴らしい高地トレーニングとして、都に降りた馬のうちで優れた騎馬軍団として評価を得て、それが佐久地方や伊那地方に広がっていったのを、裏付けることができます。

因みに、佐久は柵の意味で、牧野は望月や北御牧、南牧など山の手に広がっていましたね。
伊那に、金刺氏、他田氏が台頭するのは平安以後ですが、ルーツを上田に持ってくると整合性が付きます。

時は移って、義仲が上田に来て挙兵する理由ですが、騎馬の訓練に木曽から通っていて、上田の地に騎馬隊を世話する環境が整っていたことがあると思います。今井兼平や手塚太郎などと懇意になる所以です。

戦後、巴御前と手塚別当は別々に逃れるのですが、義仲は別当に巴を託したのではないか、龍ノ口まで落ち延びた時に、はじめてお歯黒を染めたのだと思います。

武将が入れていたら、高貴か女性であることがバレるので、お歯黒はしていかなかったはず。

最後の晩に1人の騎手と巴御前を呼び、「巴を頼む。」「お前は今日から手塚別当と名乗れ。」別当とは代理人のことである。
「巴と夫婦になり子をたくさん造れ。」「太郎は手塚、木曽に送れ」「次郎は今井、須波に置く」「三郎は須羽を諏訪と名乗り、諏訪へ送り要とし、再興を図るように。」「信濃にとどめ京はまzすな。」
と謂うような、ことを命じなければ、二人は落ち延びる理由がない。

そして、山の稜線伝いに戻ることができる。辰ノ口まで戻って巴は身を清めて、別当と夫婦になったのではないだろうか。
諏訪形の生島足島神社の冬至の線の上に、手塚さんらが住んでいる地域の北に、奥別当なる字がこっそりとある。そこが二人の落ち着いた住処でしょう。

諏訪氏が鎌倉時代に忽然と現れたことが頷けるでしょう。

霧ヶ峰・美ヶ原台地の軍事教練牧場を守るラインは、諏訪から上田に抜ける最適ルートは、八島湿原に登り、台の上を抜けて武石峠を武石西内の稜線を経て、大布施に降りるのが一番楽に行ける。

スゲの荒れ野のスゲですが、須我を須波と読めば、渡りは小牧、あるいは菅ならば八島湿原などが面白いです。

さて東山道保福寺峠、中山道和田峠を使い、楽に動ける武石峠ラインを使わなかった理由に、台上の高地トレーニングの基地を悟らせない思惑が在ったと思慮します。

秘密にしておくことにより、上田の騎馬隊が戦国時の重要な軍事産業として、一部の武将の隠し財産になりえます。

はじめは山家の真田氏も、菅平や根子岳や烏帽子を焼いて牧場にすれば、上州までの地域に勢力を誇示する事ができ、武田も上杉も上田一体を放棄することができなかった。

徳川も、戦国時代が終わって平和になるまで、上田の騎馬隊の供給源を無視できなかったのではないでしょうか。

木曜日, 1月 19, 2017

自律神経免疫療法

故安保徹 新潟大名誉教授が語る、免疫革命

ガンもアトピーも、ストレスに拠る免疫系が破壊された後に起こることを提唱し、ガンも心臓病もアトピーも化学物質過敏症も、そこに起因するとして、鍼灸やカウンセリングで、治していく理論と療法です。

前項と重ねて、健康になるあるいは病気を防ぐ手立てに参考になります。

病になる元が肥満で、その身体を作ったのが、高タンパク質の食生活。

いわば、それが大砲であり、ガンのもとになる危険な化学物質は、弾薬のようなもの。

ストレスが引き金になって、リンパや白血球に異変が起き、ガンをどんどん作っていく。

抗がん剤は、リンパや白血球の働きを止めてしまうので、免疫系が破壊されて、結局死に至る。


ストレスを無くするには、環境を変えれば可能であり、どうせ抗がん剤投与になればそうなるので、健康が確認できる時点、即ち余命の告知をいただいた時に、その医院を辞して、自律神経免疫療法院の扉を敲くべし。

ワタシの病も、相談したかった。

安保徹医師は、若干68歳、昨年暮れ12月6日に、突然お隠れになりました。

ご冥福をお祈りいたします。

終活はベジタリアンで

野菜中心の食生活すると、ガン、心臓病、糖尿病にならない。

自分でコメや野菜を作って、それ中心の食生活なら、医者いらずで、健康で最後までボケずに、介護の心配もなく、長生きできる。

ということが書いてあります。

その根拠に、発がん物質を与えてガンの進行を調べると、
全食事のタンパク質の割合が20%を超えると、ガンや心臓病で死ぬ確率が凄く高い、研究結果が報告されています。

ネズミの寿命は2年あるが研究は途中で打ち切るのだそうですが、半数がガンで死に残りは生きてるけどガンに侵されている。

逆にタンパク質の割合が5%未満だと、発がん物質を投与しているにも拘らず、全く発病しないのだそうです。

つまり、化学物質を与えての癌になる確率は、タンパク質の摂取率によって左右して、20%だと100%発症し、5%だと0%、全く発症しないのだそうです。

特に牛乳には、発症率の高いカゼインが含まれていて、がぶ飲みは好まれないようです。

また、肉食は眠くなる即ち、頭が悪くなるのではなく、脳の活性を妨害する効能があるので、キレ者がやや鈍くする効果以外には、飲用の効能が薄い。

反して、動物性タンパク質の摂取を抑えて、植物繊維を増やした場合、脳の活性と身体の活性が高まる研究結果が報告されていて、筆者自身も昔より頭が冴えている事を報告しています。

かくいうワタシも、学生時代では劣等生、壮年時には不活性人生でしたが、55歳から自然農に移行して、ますます冴え渡って、精力的人生を邁進していますので、この報告は頷けます。

著書は約2000円で上中下3巻あり、若干高価ですが、終活を活活に変え得る効果、絶大です。

水曜日, 1月 18, 2017

武石、安全の食を考える会

何故なのか?病に苦しむヒト・無農薬農業を望むヒトにお知らせ。勉強会を開きます。一緒に考えましょう。
武石、安全の食を考える会
化学物質過敏症の人・シックハウス症候群の人でも、安心して食べられる安全の食を作ろうと考えています。 その食はアトピーの人にも効果を期待でき、若返り効果もあることは体験できています。
植物を病気にしない農業を目指していると、それを可能にする知恵の中から、安全の食について見えてくることがあります。
 化学肥料や農薬など使わず、畑や田から化学物質を取り除いて作ることで、作物が病気にならないことを知りました。
 そのワザを食品にも適用することで、健康で生きられるようになり、病気で苦しむ方々でも食べられる食品を提供できると考え、「その技術をみんなで研究して広めていこう。」と決心しました。
 農業者・加工者・消費者・病に苦しむ者たちが集まり情報を交換して、光明を見出そうと「武石、安全の食を考える会」を定期的に開催します。
 農家は冬の間に勉強しましょう。  また、参加者のレベルに合わせて分かり易く説明しますので、奮ってのご参加をお願いします。

場 所  長野県上田市下武石700番地    農の間にて
時 間  午前10時から昼食を挟んで午後4時まで (途中の参加や退席可)
内容例  1.生命の仕組みを紐解く  2.植物が病気になる仕組みを知る
     3.植物と動物の食物連鎖  4.動物が病気になる原因を探る
     5.化学物質過敏の症状   6.発酵食で痩せて綺麗に元気に
     7.安全野菜と米の作り方  8.麹や酒と酒米の作り方
     9.長活き生きの研究    10.農と食のビジネス理論
開催日  平成29年 1月28日(土)  2月11日(土)25日(土)
     3月11日(土)24日(金)  
4月8日(土)   7月15日(土)  8月25日(金)
研究方法  午前中はテーマについて学び、午後は自由討議により学びを深める。わかりやすく話し、質疑により理解できるまでやります。
途中参加の場合、復習方法を検討します。
参加費等  資料印刷とストーブ燃料代(弁当自前にて持参のこと)千円/毎回  
お願い  講師が化学物質過敏症なので、香水や香りが残る洗剤の服装の着用はご遠慮願います。
連絡先   〒386-0507上田市武石上本入1086番地 宮下農園  宮下和美
電話 090-3093-9692 FAX 0268-42-6850 メールjam@hnk.jp
申し込み  次ページの用紙に記入して申込みお願い致します。
武石、安全の食を考える会 申込書
研究会参加申し込みます。
月日
住所
氏名
連絡先  電話           FAX
     携帯           Eメール
職業
参加する日時に◯をしてください
  平成29年 1月28日(土)  2月11日(土)25日(土)
                 3月11日(土)24日(金)  
4月8日(土)  7月15日(土)  8月25日(金)
その他希望日
研究して叶えたいこと(1から3までは実現可能です)
 1.酒米の栽培と出荷
2.自給自足の市民農園への参加
3.自然米での醸造
その他は、下記にご記入をお願いします。
宮下農園では、自然米の栽培を4ha、無農薬大豆の栽培を1ha、まいみそのの原料の自然米の糀の生産と、自給自足の自然野菜の栽培を0.5haやっています。
その他に、空いている農地や草地が5haほどあり、みんなで自給自足の市民農園や果樹の栽培、鶏の放し飼いや川魚の養殖などが可能です。皆様の求めに応じて計画していこうと考えています。

火曜日, 1月 17, 2017

健康になるために(ガンにならないための工夫)

1.食事に糖質を制限する。(少食にする。)
砂糖を含んだ食品を避ける。炭水化物と一緒に酵素も摂取する。
(肉はなるべく避ける。)
2.食事に化学物質を摂らない。(同じ)
化学肥料を使った野菜を食べない。化学調味料を使わない。添加物のある食品を食べない
(加工しないで生で食べる。生から煮たもの焼いたものを避け、一度干したものを煮たり焼いたり煎じたりして、酵素が生きた状態で食べる。発酵食品を食べる。)ジャム屋をやめました。
3.化学物質を含んだ空気を吸わない。(特に、それと深呼吸して酸素をたくさん吸う)
排気ガス、化粧品、洗剤、塗料ガス、防腐剤、殺虫剤の類を避ける。
(深呼吸のコツは、まずいっぱい息を吐くこと、空っぽにしてから鼻から空気を吸う、しばし止めて、お腹に力を入れて全部口から吐き出す。)
4.体温を上げる。(同じ)
温泉にシッカリ浸かる。温かい環境に生きる。運動をする。同じ姿勢を続けない。
5.医者に罹らない。
上記に注意して、適度の運動と行動に心がけ、医者と拘りない生活を送る。75歳過ぎたら自己流で100歳まで元気で生きる努力をする。(ガンと余命を告知されたら、その医者をやめて絶食してでも治せば、100歳まで元気で活きられる。途中で死んでもそのほうが得。)

火曜日, 1月 10, 2017

出糀はじめ



糀をはじめる
今年は早めに1月からとなった。
甑・釜周りの環境を整えました。

温度管理は自動になります。


月曜日, 1月 09, 2017

シックハウス症候群の君に

シックハウス症候群は、ホルムアルデヒドの類が、身体に溜まってしまい、肝臓にて除去できずに血管中にとどまっている為と思われます。
頭痛や吐き気や拒食のサインは出ますが、食を取らないことで衰弱気味ですが、それ以外の症状が出なければ、病気と違い進行する恐れも少ないと思います。
むしろ、正常な故に反応が激しく出ているように思います。

まず環境を整えることが必要です。直接の原因は増改築ですが、それまで気にならなかった因子もこれを機に、毒素の増加の因子になることになります。
頭痛の原因は、窒素酸化物が血液中のヘモグロビンと結合した為に、酸素を運びにくくなった結果、酸欠によって頭痛が起きていると考えられます。

洗剤、ぽわ~んという香料入りの洗剤やシャッンプーは、私は頭痛の種になります。
シャボン玉石けんに無臭のがありますので、それで全部用が足ります。
リンス・化粧水・香水の類、私は同じ部屋に居ることができません。残り香も10日位駄目です。女性だけでなく、男性の衣服も臭いの残った洗濯物を着ている方とは同席しません。
水道水を生で飲むことは、塩素がよくありません。泉の水を使うか、よく沸かして気化させてから、冷まして使うようにすると良いと思います。
ミネラル水も必ずしも良いとは限りません。そもそも、ペットボトルには臭いがつきますように、ボトルの成分が染み出す恐れがあり、それすらも避けるべきです。
車の排気ガス、新車の臭い、2年位経たないと消えませんから、私は新車に乗る時にはガスマスクを着けます。ガスマスクすら有機溶剤が染み出すので、活性炭着脱式のものを使っていて、マスクは数ヶ月外で晒してから使っています。

タバコは、当然のようにタブーで、吸ってなくても、そうした方とは同席お断りです。
トイレや風呂の洗剤や塩素水も危険です。モンゴルなどの天然の岩から作った重曹がありますので、そういうものを使うことが良いでしょう。

市販の食品には全てと言って良いくらい化学物質が入っていますので、食べられないということが拒否反応で、なんでも食べられないという場合と、「化学物質が入ってるから」を区別して考えてあげることです。
農産物も加工物もみな同列、私が食べられるものは、基本的に売っていません。だから、自分で全て作っているのです。
自然界で、化学物質を排除して作った野菜や米、みそなどでしょう。
おコメを炊く時の水も、煮沸水か泉から汲んできたもの、味噌汁も同じこと、気をつけて観察することです。
牛乳もパックではなくガラス瓶のものとか、容器にも気遣いが欲しい処ですね。

点滴は、化学物質過敏症であることを聞いてくれる医者に掛かり、適した液をしてもらえば、断食していると血液中の濃度が薄まり、改善することが期待できます。

私は食べたくない時には、何も食べません。頭痛が治って腹が空いてから2時間経ってから気をつけて食べますと、だんだん食べられるものが増えてきます。
頭痛や吐気がする時には、総ての駄目な環境が顕著になり、回復すると鈍くなりますので、お嬢さんが全てダメな時には、医者に相談した上で、思い切って断食してみることも良いかもしれません。脱水症状が出ても頭痛になりますので、水分にはお気をつけて、点滴や、いつも水を少し飲む等により、小水が定期的に出る状態を保ちながら、空腹と頭痛の解消を目指すことができるかもしれません。
一度、解消が可能になれば、飲んだり食べたりする事ができますので、少しずつ食の種類を増やすことができるかもしれません。

私の場合、頭痛があるうちと、空腹にならない時に食事すると、必ず翌日から3日間の頭痛や吐き気に拠る、水も飲めない絶食を強いられてしまうので、最近は気をつけていますが、うっかり排気ガスを吸った時や、街に出た時、農家が何かを散布したのを吸ってしまった等により、だいたい毎月1回か2回の洗礼を受けています。
その時以外は、自分の作った玄米での酵素玄米食と、自家製の味噌汁、漬物などにより、他人よりむしろ元気な生活を確保できています。

当家製の特製の「ササニシキ」これは、米アレルギーのヒト用の米で、26年産ですがもしかしたら効くかもしれませんので、これで粥を作ってみてお試しください。
泉水か夕方煮沸して翌朝まで冷ました水を使って、研いで暫く置き、海水から精製した塩を少し入れて、ガスコンロの最弱火で多めの水で炊くと軟らかくなると思います。

同封したのは甘酒です。完全無農薬の米と糀を使って私が作りました。これに一晩おいた湯冷まし水を再び沸かして、お湯で割ったものを試されるといいでしょう。
また、完全無農薬・無添加みその「まいみその」を同封しました。味噌汁は同様の湯を60℃まで冷まして、みそを入れて溶いてお召し上がられると良いでしょう。 ダシは要りません。むしろ成分の分からない調味料は避けましょう。
体内の酵素が不足していることも、考えられるので低温で溶かした味噌汁と甘酒は点滴と同じように、身体に酵素を補充してくれます。
少しずつでも、食べられるモノを増やして、酵素玄米食にまで到達できれば、快方に向かうことができると思います。

建物ですが、Sさんは、ビニールシート(どの種類が良いのかを確かめる必要ありますが)で壁を覆って、そこからの空気を遮断していました。
貼るテープも気をつけて、例えば小麦粉で糊を作って、それを壁に塗って、そこにラップとかビニールとかナイロンとか、無害らしいシートを鋲で止め、紙テープを糊付けして目張りするだけでも、改善できると思います。
食器戸棚を覆ってしまう方法もあります。自分でできることは考えて、やってみることです。
少しでも改善が見られれば、それをもう一歩進めて、少しずつ少しずつ、前を目指しましょう。

お嬢さんは、病気ではなく、健康体です。

それを信じて、前を向いて、考え、動き出しましょう。

日曜日, 1月 08, 2017

ニーズが判ったら

さて、出かけていったら、ニーズが判ったとする。

その時、我が社はできるのか?出来なかったらどうするのか?

そもそも、我が社にその類い造れるのか?

造れるとする。誰に教わるの? そのニーズ教えてくれたヒトに中に居る。

その方を暖かく迎え入れて、腰を折って教わる。

ニーズとやり方がわかったけれど、我が社ににその仕組みがない時、

ひとり、他社に出かけていって、腰折って一緒に創る。

この二つの仕組が、イノベーション。

入って、改革するの。

で、入る方は全身でその方の中に入る。
受け入れてもらえるように、身を縮めて腰折って務める。

受け入れる方は、母なる大地。
暖かくすべてを受け入れ、改革に務める。

なぜなら、世に無いものを造り、社会を変えるためだから。

結婚に似ている。

所詮、男は種だけ、子も産めなければ、乳も授けられない。

でも、種がなければ子は授からない。

で、腰折って母につとめるのが、近代流。

判ったら、やってみるといい。

モノ作りのヒント

モノを作って売るのですけれど、買えるものには条件があります。

今の生活が、「良くない」ので、買ったら「生活が変わる」モノを作る必要があります。

「生活が良くなる」モノゴトを、保証する商品、それはモノだけでなく、モノゴトでも可能です。


その昔、ソニーやナショナルが素晴らしかったのは、ソレ買ったら、生活が一変したからです。

トランジスタラジオ買って仕事すると、つらい仕事も楽しくはかどりました。

テレビの規格を統一することで、どの局の番組もチャンネルをガチャガチャするだけで、楽しめましたので、互換性も重要で、ビデオの時はそれで失敗しましたね。

NHKはその時、普及に貢献しましたが、いま、4Kなんてやったり、みんなが見れないBSとか、家電業界は、何処を向いているのでしょうね。


さて、ニーズは何処にあるか?

文句言てるヒト。変わったことやってるヒト。怒ってるヒト。悲しんでるヒトの声を集めるのです。

ただ待っていたのは、景気良かった頃の話。出かけていって、直接聞いて集めることではないでしょうか。

オタクとか、おかしなヒト。凄い魅力的なヒトに見えませんか。

自立は自律から

国家に運命を委ねることは出来ない時代になった。

時代が進んで、貧民を国家が守らなくても良くなった。
ところが、国民の側が国家に委ねすぎたので、置いてきぼりを食う国民が出てきて、街角だけでなく周りにも増えているようだ。

アメリカや韓国が何故変わろうとしているかを、ようやくマスコミも気付いて報道をはじめた。
国民が貧困にさらされていて、放っておくと大多数が貧困にさいなまれることが、判ったからである。

その貧しき国民も、政治が解決してくれると信じているようだが、もうそんな時代はやってこない。

一人ひとりが自立して、『自分の生活は自分で護ろう。』とした者が一番先に、地獄から抜け出せる。


誤解しないこと、政治の話ではない、経済の話だ。

自立するには自律から、これまでは国家の法や地域の法の範囲の経済活動をしていればよかった。

それでは、資本のあるやつに勝てない。
そもそも規制は資本家に都合のいいように出来ているので、その範囲での活動なら、貧乏人はスタートから負けている。

努力そのものが、無駄なこと。

法や規制は自分で創る。

お金を得るためには、顧客のニーズに沿ってやるしか無いので、顧客が幸せになる為のクレーム・希望を集め、そのうち現行法を越えている厄介な課題に取り組む。

完全に安全な食品・完全に安全な乗り物・思いっきり贅沢なモノ等々

「そこまでしなくても!」はない、世の中に無いものを創りだす。

目標や規制は、自分で決め、そいつをクリヤーする。

ソレが自律だ。

完成したら、あとは売ってみるだけだ。

評判を聞いて、モット凄いものにするのよ。

やってみれば判る。

土曜日, 1月 07, 2017

何やってるのだろうか?

他国ごとだろうか? 隣国は政治が機能せずストップした状態にある。その国はまたその外の国と交戦状態の国。 そこを日米韓の軍事同盟によってかろうじて保っていた均衡だが、アメリカも手の打ちようにないこの時期に、同盟国を交戦状態にしてしまった。 アメリカも手を出せない時を狙って、日本は同盟を引き上げてしまおうとしているのか。
これがプーチンの戦略か。戦略だとしたら凄い!

はたまた、新大統領が誕生する前の、新政権に対する外交的ジャブなのか。だとしたら、下記の理由で北朝鮮のほうが日本の友好国だ。そうではないとしたら、隣国とアメリカのリーダーが不在で、北の蹂躙にさらされている今こそ、その国を守ってあげる大人の対応があるのではないだろうか。 これまで日本の脅威は北朝鮮だったが、今この状態をその国から見て、これまで日本政府が国民に説明してきた国のとおりであった時、彼の国のリーダーは、この美味しい状態を、どんな思いで眺めていることだろう。
若し、朝鮮統一が悲願であった場合、今を逃して、もうこんなチャンスは2度と訪れないのではないか。
そのビックチャンスを、我が国は国際舞台で創り出してしまった。 その後に起こるであろう惨劇が、おっかなくて手も足も出ないのだろうか。それとも、もうじき旧正月なので、その準備でそれどこれではないのだろうか? この布石。一番喜ぶのは誰なのか?
今だ!と思い、寄せてくれば、そのきっかけを作ったのは、日本政府である。
責任を取れるのだろうか?環境整備は整ってるが、。
実戦になった時、中国とロシアの動きは?
国際連合を退席して、真珠湾に至った時に似ている。戦争のきっかけなんて些細な事だ。 そして、これまで政府が国民に語り続けてきた、北の脅威に対して日本はどんな手を用意しているのだろうか? ますます、目がなせなくなっている。というか、大丈夫なのだろうか。
首相は、糸魚川を訪ねている頃だろう。留守を護る防衛大臣は臨戦態勢を敷いてるのかな?やってなかったら全部絵空事。 みんなが言ってるように、ウソであって欲しい。 何も起きずに、トランプ大統領が誕生して、鶴の一声で、両国が仲直りした。って事になれば、北も中国もみんな出来レース。
緊張を煽るけど平和は大好きだ。

日本は、いつでも新しい政府を造れることになる。 どうせ国民は何も出来ないけど、よく考えて、この事態を見ていよう。 そう、固唾を呑んで見守るのだ。

金曜日, 1月 06, 2017

己の未来の作り方(その2)

明るい未来をつくるにはどのようにしたら良いか?

己の未来は、己で創りだす。

批判や反対をしていても、何も生まれず変わらない。

己の人生は、他人が左右できるものではない。その逆もまた真。

他人の生き方を、ワタシは操作できない。


あるべき、理想的な未来を、思い描く。きちんと書き留める。

それに向かって、今できることを一つ始める。一つだけ。

明日、まあ、すぐには無理だけど、少し事態が動くはず。

そしたら、また出来ることを探して、もう一つ。

理想は理想。高いところに掲げておく。

できない事だらけ、距離もある。

お金の問題は置いておこう。何時かはそれも解決できる。

だが面倒だったり、汚かったりしても、その気になればできることはある。
そいつは、たいへんだけど、できないわけではないので、やろうよ。

不苦(ずく)、苦にせずやる根性、当地ではそれをズクと呼ぶ。

「ズク出してやってみようよ。」とか、掛け声を掛ける。

やってる内に、ヒトは工夫するので、何の苦もなく出来るようになる。

振り返ると、それは誰にもできなかったことだったりする。

気づくと、最初のときに比べて、理想が近くになっています。

木曜日, 1月 05, 2017

未来を変える。社会を変える。

未来を変えて、社会も変える必要がある。

どのように変えるか?

未来は希望したように変わる原則がある。

ヒトだけが新しいものを造り出すことができる。

望まなかったものは創り出されないが、望んだモノに近い物はできる。

つまり、明るい未来を望めば、明かるい未来を創り出すことができるのだ。


ワタシは、安全の食料を作る事をしようと、いつも考えていて、すこしずつだが実現している。

安全の米、安全の味噌、安全の野菜、安全のジャムを創り出すことに成功してきた。

その結果得られたことは、ストレスなき人生と、年甲斐もない心の若さと、疲れ知らずの”パワフルな肉体”ではないがヒト並外れた持久力などです。

つまり、望めばだいたいそのように実現できます。

一説には、遺伝子を”いじくるのではなく”ケアすると、若さも取り返せるようです。

それも、望めば、もうじき手に入るでしょう。

そうです。明るい未来を望んで、その実現に自ら努力するのです。

社会にも、同じことを考え望んで、その実現のために、己が出来ることを必ずやるのです。

明るい未来を信じましょう。